ジョン・ディーコン インタビューなどメモ

とりあえず、1つ目のメモ。

ロジャーとジョン2人だけが出演した番組で、司会者がどのようにバンドが結成されたかをジョンに質問。

ジョン: 僕が入った時にはすでにクイーンというバンドは結成されていたんだ。だからその質問に答えるのにはふさわしくないよ。

ロジャー: どうやら僕が答えるしかないようだね。

((2人しか出演してないからロジャーが答えるのは当たり前なのにそんなロジャーの対応にウケて笑いながらロジャーの肩に手をやるジョン))

ロジャー: (バンドの結成までの話 省略)

で、僕らのバンドにはベーシストがいなかった。6人くらい試したけど、彼らは演奏ができると性格が悪かったり、性格が良いと演奏ができなかったりで、僕らにぴったりの人はいなかった。最後にようやく僕らはコレを見つけたんだ (ジョンを指差す)。

ジョン: え、つまり…

(コレ呼ばわりされたけど、気にならないくらい嬉しそうなジョン)

司会: あなたは性格も良く、演奏も素晴らしかった、というわけですね

ロジャー: ぴったりだった、というわけさ。

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オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話

オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話。

メインの講演は結核菌を持ったアナグマが牛の全体の結核を引き起こす要因であると科学的に証明されていないのにも関わらず、アナグマをランダムに殺すことがいかにおかしいことであるか、また牛の結核予防には予防接種をすべきである、というような内容のお話でした。

それはそれで興味深く、勉強になりました。

ここではQ&Aで心に残ったブライアンの答えをご紹介します。

Queenに関するQ&A。

(あなたのキャリアの中で一番誇りに思う出来事は?)

ブライアン: いくつもあるけれど、おそらくバッキンガム宮殿の屋上で演奏したことかな。

よくみんなに 怖かったか、と聞かれる。

たしかに怖かったよ。

屋根から落ちると思ったかといったら

それはなかった。落ちるとは思わなかったよ。

けど、もし、しくじったらバッキンガム宮殿の屋根から飛び降りようかとは思った。

(会場 笑い)

僕にとってあの演奏は冒険であり、挑戦であり、人生を変えるものだった。

とてつもない恐怖を乗り越え、平静さを保たなければならなかった。

僕があの演奏をしたのにはいくつかの意味が含まれていた。

女王陛下の即位50年のお祝い、ロックミュージックの50年の歴史のお祝い、そしてフレディがいなくなった今、僕が旗手を務めなければならない、などね。

とてもうれしい事ではあったけれど、とにかく怖かったんだ。

無事に終えた後、みんなも写真で見たかもしれないけど、

僕は天に向かって手をあげ、神に感謝した。

どれだけ準備を万全にしても失敗してしまう可能性はあったからね。

数年前にうつ病のクリニックですごいことを学んだんだ。

安らぎの祈り、というものだ。せっかくだからみんなにも説明するよ。

こう言うんだ。

「神よ、」祈りの対象は神でなくても良いのだけど、神とするとわかりやすい。

「崇高なる存在よ、神よ、

私の力ではどうすることもできない事柄を理解する恩恵をお与えください。

私が変えることがでできる事柄を変える勇気をお与えください。

そしてそれらの違いを理解できる英知をお与えください。」

つまり、恐怖を感じたら、自分ができることだけに集中し、残りは神に委ねる、ということなんだ。

これが宗教なのかはわからないが、とても強力な方法なんだよ。

物事を神に委ねたとたん、重荷が取り除かれ、心配をしなくてよくなるんだ。

あの演奏の30分前、オーケストラと僕の演奏がお互いに聞こえる装置、指揮者を見るためのモニター、どれも機能してなかったんだ。

もう一本ワイヤーを引っ張り上げてこなければならない、それには女王の許可が必要だ、なんて大変だったんだ。

たしか本番の約10分前位になって、すべてが整ったんだ。

オーケストラが見れる大きなモニターと自分のギターの音が聞こえるアンプがそばに設置された。

あの恐怖を乗り越えた後は天国にいるかのような気分だった。歓喜の瞬間だった。

純粋に演奏を楽しみ、自分でできる限りの準備はしてきた、という安心を楽しめた。

みんなも試験が控えてるよね。

パニックになるよね。でもできる限りのことをした後は、神に委ねるしかないんだよ。

なぜなら僕たちにはどうすることもできない事柄もあるのだから。

僕の父はよく、こう言ってくれた。

「できる限りの事しかできないんだ。ベストを尽くせばそれで十分だ」とね。

君の質問の答えになったかな? (会場 笑い)

 

 

宇宙に関するQ&A

(インスピレーション・マーズ財団のチトー氏が地球代表として火星へ行く年配のカップルの募集を発表しました。興味はありますか?)

ブライアン: 年配のカップル?キミ、僕に向かって言ってるわけじゃないよね?

年配のカップルか。

ああ、つまり、行ったっきりで戻ってこない、ってわけだね。完璧だな。(会場爆笑)

僕はこの地球にはやらなければいけない事がとてもたくさんあると思う。

僕は、我々は宇宙へ一体何をしに行っているんだ、と思う。

過去に勇敢で優秀な宇宙飛行士たちが宇宙へ行ったことは素晴らしいことだと思う、

しかし、僕たち一般の人々が宇宙へ行くことははたして正しいことなのだろうか?

自分たちの欲からほかの惑星を汚し、自分勝手に横暴にふるまう事ははたして正しいことなのだろうか?

宇宙全体に侵入して荒らす権利は我々にはないと思う。

僕たちは地球を良くすることに専念するべきだと思う。

だから、僕はここに残り、確実に改善されるように見ていようと思うよ。

 

 

 

 

ピーター・フリーストーンさんが語るフレディ

YouTubeにあがっている約12年間フレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントをされていたフリーストーン氏のインタビューから興味深かった部分、面白かった部分などをメモしておきます。

たくさん彼のインタビューを見てちょこちょこメモしていたのですが、どの動画かタイトルをメモし忘れていたものもあり、とりあえず一部分です。


18:00~

フリーストーン氏: 実際のポール・プレンターは(映画ボヘミアン・ラプソディ)で描かれた通りの人物ではないんだ。
映画の中のポールはフレディにとって最良とは言えなかった2,3人の人物を融合したキャラクターなんだ。

22:55~

(本作の制作に大きく携わられていましたが、なぜあなたは本作に登場していないのですか?)

本作に登場する人物はみなストーリーラインに関わってくる人物だけだ。たとえば、1979年から5,6年は僕は実際には常にフレディのそばにいた。でも本作の物語にはなんの関わりもないんだ。映画では15年を2時間に収めなければいけなかった。僕がいたら単に物語の進行をスローしてしまうだけだったはずだ。僕にとっては(僕が登場していたかどうかなんて)問題じゃない。本作の中に僕の貢献は見れるから。

たとえば最初の頃のフレディの両親とバンドのメンバーが会うシーン。カシミラの「フレディは18歳でロンドンに生まれたの」という台詞はそのまま僕が聞いた1990年代のインタビューからの言葉なんだ。僕にとってはその言葉自体が僕のキャラクターだよ。
撮影が始まる前の6週間は僕はプロダクションデザイン、小道具、ウィッグ、コスチューム、メイクの部署などに協力した。

小道具からの質問の一つは朝、フレディが朝、紅茶を飲んでいたティーカップについてだった。僕は日本のノリタケというメーカーの磁器(ポーセリン)で、白く、金の縁取りがあるものだった、と伝えた。映画の中でフレディが白に金の縁取りが入ったティーカップで紅茶を飲んでいるシーンがある。あれも僕という存在だと感じるよ。また、エンドロールでフレディはゾロアスター教のしきたりにそって火葬された、と出てくるよね。フレディが亡くなった時、20年間世界の人々のものだった彼のお葬式はご両親の希望にそって行ってもらうのことが正しいことだと僕は思い、僕がご両親に希望を聞きに行った。世界中はフレディ・マーキュリーの葬儀を見守る中、家族はファルーク・バルサラの葬儀を行うアレンジを行ったんだ。

多くの人が映画のタイムラインが史実と合わない事をあげているが、完成版を観て、僕は問題には思えなかった。映画を心から楽しみ、時に涙を流し、頭の中では実際の思い出を思い出していた。

 

7:30~

寝たのが朝3時だろうが5時だろうが、フレディは必ず朝9時には起床した。時間を無駄にするのが嫌だったんだ。朝食を食べ、庭に出て猫と遊んでいたよ。

14:42~

フレディが自由に好きなものを買えるようになった時…彼は趣味も良かった。裕福な人の多くは悪趣味だったりするよね。彼は買い物をするとき、いつも周りの人のことも考えていた。

ある日、彼は「コロンがもう無いじゃないか。誰も僕のために買ってきてくれる人はいないのか。誰一人として気にかけてくれないのか」(フレディのマネをしながら)と文句を言いながら2階から降りてきたんだ。コロンは少なくなっていただけなんだけどね。そして「もういい、自分でなんとかする」と運転手と出かけたんだ。

彼はハロッズの袋を2つ持って帰ってきた。袋から「これが僕の」と1つ取り出した。続けて掃除の女性も含め、家の中にいた全員に香水を渡したんだ。それが彼だったんだ。一生懸命働き、みんなが喜んでくれるお金の使い方をしたかったんだ。

41分辺り~ (それまでクイーンが何人のグループなのかも知らなかったフリーストーンさんがクイーンのツアーコスチューム担当の職につき、初めてクイーンのメンバーと対面した時の事。)

フリーストーン氏: オオカミの毛皮のロングコートを着た男が現れたんだ。他の誰よりもロックスターという風貌だった。それは実はビジネスマネージャーのジム・ビーチだった。

 

ブライアン・シンガー監督作品としての『ボヘミアン・ラプソディ』

祝!

『ボヘミアン・ラプソディ』がゴールデン・グローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞!!

ラミ・マレックが同作にて映画の部ドラマ部門主演男優賞を受賞しました!!

授賞式に撮影途中で降板となったとはいえ、ブライアン・シンガー監督が不在なのは本作を愛する方なら気になる点だと思います。

軽く検索しても詳しい情報はなかったので、

2週間前くらいだったか、観てた動画で聞いたお話を説明をご紹介します。

『ボヘミアン・ラプソディ』撮影中、アドバイザーとしてずっと参加されていたフレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントだったピーター・フリーストーン氏のお話です。

わかりやすく説明してくださっています。

もしかすると、他にも降板の理由はあるのかもしれませんが、フリーストーンさんがそう説明してくださるのなら、そのまま受け入れれば良いと私は思いました。

 

会場の質問者:本作では監督の変更がありました。大きな違いなどありましたか?

フリーストーン氏: いいや。どう言ったらよいだろう。完成版にはブライアン・シンガー監督作品と表記があることになるだろう。

本作の85%はブライアン・シンガーが監督した。

あれは、感謝祭の頃だったね。彼の母親は具合が悪かった。彼は「80代の母と共に過ごす時間があとどれ位あるのかわからない。母が具合が悪いのなら、自分は会いに行く」と言っていた。彼はスタジオにも家族と過ごすための時間をもらえるようにお願いをしていた。しかし、スタジオ側は不満だった。彼がアメリカから戻ってこなかったのをうけ、スタジオ側も、もう戻ってこなくていい、と言ったんだ。

 

こういう事情で15%はデクスター・フレッチャーが監督した。彼はブライアン・シンガーが監督となる前から考えられていた人物なんだ。だから、デクスター自身も本作に対する彼なりのイメージはあったわけだ。

デクスターは残されたシーンのみを撮った。再撮影はしなかった。残っていた約15日間くらいの撮影部分のみだ。

2月にブライアン・シンガーがフレディについて教えてほしいと僕に連絡をくれ、最初の会合は8月4日プラハのホテルで行われた。夜中の2時まで質問と答えを繰り返した。彼は「まだまだ知りたいことばかりだ、明日一緒にロンドンに来てあと3,4日だけフレディについて教えて欲しい」と言ってきた。

あと数日という予定はのびて、12月の15日まで僕は撮影に参加し、毎日、シンガー監督はフレディについてたくさんの質問をしてきた。

彼は可能な限り、本物に近いフレディを描こうとしていたんだ。

 

 

ブライアン・メイとうつのお話

ボヘミアン・ラプソディを観てからどっぷりQueenにはまっています。

最近は知的なブライアン・メイのインタビューを聴くのが好きです。良いお話だと思ったので、ツイッターにあげるのには長いので記録程度に。

インタビュアー: ある時期、自殺する寸前だったとお聞きしました。
何があなたを思いとどまらせたのでしょうか。
死への恐怖ですか、生きることへの愛ですか?)

ブライアン・メイ: 僕はとても酷いうつ状態だった。多くの人が人生の中でうつを経験することがあるように。
僕を踏みとどまらせたのは、僕の子供たち、そして自分を頼りにし、愛してくれている周りの人々だと思う。自殺というのはとても自分勝手な行為だとも言える。周りの人々をめちゃくちゃにしてしまう非情な行為だ。もし自分が自殺していたら、自分の子供たちにとって最悪だっだと思う。

また、微かな希望が僕を救ってくれた、と言いたいところだが、その時は全くなかったね。車の運転をしながら橋が見えて、今なら死ねる、と考えた事がある。でも、自分の中で何が起こってしまっているのか きちんと理解しなければならないと思ったんだ。

そして、僕はうつ病のクリニックに自ら入院したんだ。これは僕が人生で行った一番良い事だといえる。新しいスタートをきれたんだ。車のエンジンをかけ直すようにね。瞬時には治らなかったけれど、新たなエネルギーを得て、人生と少し別の向き合い方をできるようになったんだ。
すべてを捨ててしまうくらいの状態になったから、新しいスタートをきれたんだ。もし僕がうつという問題を解決しようとしてなかったなら、僕は誰の役にも立たない存在になってしまっていただろう。
自殺は周りのみんなにとても酷いことではあるけれど、うつ病のままでずっといるというのも同じように周りのみんなにとってとても酷いことだ。

 

その前のお話も少し。

インタビュアー: 神の存在を信じますか?

ブライアン メイ: ”108 Minutes” という討論会でリチャード ドーキンスという無神論者と議論を戦わせた事がある。

彼は神がいない事を証明したと信じていたが、僕は証拠がなければ科学的だとは言えないと思う。何かを表明するには証拠が必要だ。神がいないという証拠はないだろう。

「いるかどうかわからない」と言う不可知論なら科学的だと言えると思う。彼はとても頭の良い男だが、僕は彼とは違う見解を持っている。

僕は時折、神の存在を感じる事があるよ。特定の宗教を支持してはいないがね。

君の質問に答えると、僕は神はいるんじゃないかな、と思うよ。

 

 

 

 

 

イニャリトゥが語るギレルモ・デル・トロにしか作れない映画『シェイプ・オブ・ウォーター』

ギレルモ・デル・トロ監督の新作 『シェイプ・オブ・ウォーター』。

IndieWire にイニャリトゥ監督のコメント掲載された文章の日本語訳です。

何年も前にギレルモは大きな目を輝かせて彼がずっと考えている次回作について僕に話してくれた。
喋れない女性(訳:注muteとは聞こえるけれど喋れない状態を表す)と半魚人のラブストーリー。

僕はこのようなアイデアはギレルモにしか浮かばないだけでなく、彼のようなアーティスト以外誰にも作ることができないものだと思った。そして、そのアイデアにとてもワクワクしたのと同時にその作品が彼の1番の傑作になる事もわかっていた。

『シェイプ・オブ・ウォーター』はギレルモが作り、監督しなければ存在しえない作品の良い例だ。


昔ギレルモが、

”水の中にいない時、自分は世界にとって半魚人のように正体不明の怪物のような存在だと感じることがある”

と教えてくれたのを覚えている。

『シェイプ・オブ・ウォーター』は愛に宛てたラブレターであり、映画への愛の宣言でもある。
ギレルモは怪物の出てくるお伽話の概念を変えた。
なぜなら怪物もお姫様も変わる必要がないのだから。
本当の変化はありのままの相手を愛し、受け入れることによってお互いの心の中に起こるだけだ。
『シェイプ・オブ・ウォーター』は村上春樹の文学にあるようなファンタジーの喜び、また僕たちの現実の中に存在する奇跡だ。

関連記事:

この作品自体に光があると思う。映画Biutiful ビューティフルについてかたるイニャリトゥ監督

バードマンを語るときに我々の語ること What we talk about when we talk about BiRDMAN. 

ノクターナル・アニマルズ トム・フォード監督が解き明かす解釈。

ジェイク・ギレンホールが主演ということでずっと楽しみにしていたノクターナル・アニマルズ。

圧倒され動けなくなるような映画でした。
そして、映画館を後にしながら、この映画のメッセージはあのジェイクの一言の台詞に集約されてるのかな、と思いました。(監督のインタビューを見てそれがメインテーマだと知り嬉しくなりました)

私はどちらかというと、解釈を委ねられるより、素晴らしい作品を観たときは監督のその作品に込めたメッセージをとても知りたくなります。

それだけすごい作品を作り出すためには明確なビジョンがあると思うからです。

観客に解釈を委ねる、という監督も多いですが、トム・フォードはファッションデザイナーというチームやモデルたちに自分のイメージや思いを的確に伝えなければならない仕事をしているためなのか、はっきり意図するところ教えてくれて、答え合わせをさせてくれる監督でした。
ネタバレになると思いますので、まだ未見の方はご覧になられてからどうぞ。

トム・フォード:これはエドワードが自分自身について書いた物語だと観客は気が付くはず。
そしてその物語を思い浮かべるのはスーザンなんだ。

最後にスーザンがエドワードに会ったのは20年前、スーザンが中絶手術を受けた直後だ。
だから彼の思い浮かべる娘はスーザンそっくりであり、妻(ローラ)はスーザンそっくりなんだ。

イルサ・フィッシャー(小説の中の妻ローラ役):ローラはスーザンがなりたかった女性であり、エドワードを愛していた彼女自身でもあるの。

トム・フォード:マイケル・シャノンが演じる役は典型的なアメリカの正義の味方で「見つけ、捕まえ、復讐を果たせ」という囁きを小説の中で表している。実際の世界ではエドワードの「小説を書き、スーザンに送り、自分が勝ったことを見せつけてやれ」という声なんだ。
アーロン・テイラー・ジョンソン(レイ役):レイは彼の人生の苦難を反映している役なんだ。エドワードはレイを打ち負かしたいと思っている。エドワードの宿敵なんだ。

トム・フォード:この物語は僕にとって、人を投げ捨てにしてはいけない、という事を表している。現代、僕らはなんでもかんでも簡単に捨ててしまう文化の世界に住んでいる。すべては消耗品で、人間すらも捨ててしまう。
スーザンは自分が求めていたものすべて、外側から見れば自分の理想の人生を手に入れているが、内側は死んでいるんだ。そしてこの小説がきっかけでそのことにはっきり気が付く。彼女自身もほとんど気づきかけていたことなんだけれどね。
これが中心のテーマなんだ。僕にとってとても重要なね。
誰かを大切に思うなら、誰かを愛しているなら、投げ出してはいけない、手放してはいけない。
これが僕にとってこの物語で要となる部分なんだ。

3つの物語が明確になるように色合い、明るさなどで違いが見え、感じられるようにしなければならなかった。また、3つの物語の繋がりもしっかりさせなければならなかった。

スーザンの世界は冷たい。だからカラートーンも冷たく青っぽい色合いだ。彩度に欠ける人生なんだ。逆に色味がある時はけばけばしく、キツイ色合いだ。

回想シーンでは温かい色合いを使っている。彼女の気持ちや情熱が豊かさをもたらし、20年の時の経過により強調されているんだ。

小説の中はさらに色彩豊かで、ザラザラしている。そして明るさ太陽の光にしても、電球の灯りにしても以前よりも厳しい。

小説の中の様々なポイントを通してエドワードはスーザンに言う。
「これが君が僕にしたことだ、僕を殺し、僕を壊し、僕の家族を殺し、僕のことをズタズタにした。でも20年かかり僕は打ち勝った。自分が信じた道を行き、小説にした。素晴らしい小説に。ところでこの小説を読みながら僕にもう一度恋するかもしれないけれど、もう君とは終わった。終わったんだ。」

多くの人々がエンディングをとても悲しいものとみるだろう。
ああ、確かに悲しい。でも人生には悲しい時が多々あるわけだ。そこから僕たちは成長し、進歩することができるんだ。
彼女の人生にこれから何が起きようと、彼女は乗り越えたんだ。彼女が不幸せだった人生は終わったんだ。
この小説を読むことによって痛みを感じた彼女だけれども、それは変化をもたらすものとなったんだ。

エイミー・アダムスの語るラストシーンの意味。


アダムス:悲劇のように見えるラストシーンは、彼女の新しい出発点だと私は思ってるの。
生まれた時のような苦しみと不安を感じていると。

アダムス:悲劇のように見えるラストシーンは、彼女の新しい出発点だと私は思ってるの。
生まれる時のような苦しみと不安を感じているのだと

追記:

トム・フォード: 個人的に偽物(フェイク)アートを見ると嫌な気持ちになる。
中身が空っぽで、本物の芸術家が作るようなクオリティがない作品なんかね。
エドワードは小説というアートを通してスーザンとコミュニケーションをとろうとしているんだ。
アートディーラーである彼女は常に芸術に囲まれている。もちろん彼女自身が想像する物語も必然的に芸術的になる。

映画の中で出てくる芸術作品はどれも象徴しているものがある。
例えばダミアン・ハーストの矢が刺さって入る作品はスーザンがその時、感じている気持ちなんだ。

また、スーザンが現実の世界で芸術作品の前を横切ったとしたら、彼女がその後、小説を読みながら想像する世界の中にもその芸術作品の要素が出てくる。なぜなら彼女の脳の中に記憶されているからね。

オープニングに関して

(司会:オープニングシーンの監督の芸術作品に対しての批判がスーザンの台詞の中にありますが)

ああ、そうだね。でもスーザンは実際にギャラリーにいるわけだ。スーザンがする批判は実は現代文化の薄っぺらさに対してであり、彼女は浅薄さにうんざりしているんだ。

現代文化を作り上げている人間の一人である自分がこんな事を言うのは変だよね。でもどっぷり現代文化につかっているからこそ、僕は作品を見て、消費文化の中で消えていくだろう作品も見抜くことができるよ。