フレディが変えた世界。ブライアンとロジャーのインタビュー訳

ずっーと前から訳したいと思っていたインタビューです。

思うところがあって今日、合間に訳しました。

ロジャーが「何があっても彼に味方する。もう彼は自分をかばえないんだから」と言ったテレビ番組でのインタビューの後半部分です。

(前半部分は訳されている方がいらっしゃったようですので)

なかなか自分の納得できる言葉になっていない部分もあるのですが、能力不足です。ごめんなさい。先に謝っておきます。

8:10あたりからです。

(フレディの死がテレビや新聞などのセンセーショナルな追悼文だけで終わるとしたら残念すぎますよね。何かもっとあるべきですよね。)

ブライアン: もっともっとある。たくさん伝えるべき事もある。ここ数日で世界中からたくさんの愛が注がれているのを感じている。 フレディは世界を変えたし、彼の死も世界を変え始めたと思う。

まずこのボヘミアン・ラプソディのレコードは彼を追悼し、再リリースされる。全ての収益金はエイズのチャリティに寄付される。

ロジャー: このレコードは両A面で、もう一つの曲は (These are the) Days of Our Livesで僕たちが作った最後のミュージックビデオで、歌詞にも良い繋がりがあると思う。

(Show Must Go On という曲もありますが、やはり意図的にそういう意味が含まれていたのでしょうか?)

ブライアン: 振り返ると、ここ数年そう思える曲は多くあると思う。でも1つだけでなく、様々な意味合いが含まれてもいるんだ。

(彼が世界を変えた、というのは大げさでは、という人々もいると思いますが、どう答えますか?)

ブライアン: 1つの例を挙げれば、彼の存在がゲイである人々への人々の接し方を変えたという事だと思う。僕は本当にそうあって欲しいと思う。

彼の個人的な事だったから僕らにとっては今までは少し話題にしにくいことだった。

彼は強く、ものすごく才能があり、考えられるどんな面においても素晴らしく、そして彼はゲイである事もかなりオープンにはしていた。彼はゲイの人々への人々の考え方を変えたと思うよ。

それにもういい加減、時代は変わるべきだよね。

昨日新聞に ”誰々がゲイであることを認めた”、と書かれてるのを目にしたけれど、認めた、という表現をすること自体が中傷という罪を犯しているわけで、そんな事が何事もなかったかのように許させるのはおかしい。

僕たちはもう支援に回れるようになった。ゲイのためのヘテロ(同性愛者をサポートする異性愛者の意)とでも、何とでも呼ぶといいさ。

(バンドの仲間として、このような機会を何かポジティブな事に変換したいと思いませんか?)

ブライアン: たくさんのポジティブな事が起こっているよ。

ロジャー: 全くもってそれがフレディが望んだ事なんだよ。フレディは残された時間に自らの事を公表することがポジティブな何かに繋がる事を望んだんだ。僕たちもその意志を受け継いでいこうとしている。来年、彼の名前の元、何か大きなイベントを開催して多くの寄付を集めようと思っているんだ。

(リードヴォーカルにフレディなしのクイーンのパフォーマンスとなるわけですか?)

まあそうなるだろうね。

(どういう風にされるのですか?)

ブライアン: 詳しく考えてはないよ。僕たちはまだ悲しみの第1段階も乗り越えてないよ、想像できると思うけど。当面は今後の活動については棚上げして、今やらなければならない事をやろうと決めたんだ。

フレディは素晴らしいプラットフォームを残してくれたから、それを使ってエイズの基金を集められると考えている。多くの人にエイズを知ってもらうための啓蒙活動もできると思っている。今もこうして行っているようにね。

みんなへ。1995年ディーキーからのファンクラブメンバーへの手紙

1995年3月9日にジョン・ディーコンがオフィシャル・インターナショナル・クイーン・ファンクラブの会報のために寄せた手紙をtwitterで見ました。他の手紙は見たことがありましたが、この手紙は初めて見ました。きっととっくに全訳も出てるのだろうと思いますが、自分でも訳したい衝動に駆られたので。

みんなへ

みんなが元気なこと、そして1995年がみんなに優しくしてくれてる事を願っています。Queenのレコーディングやミキシングは順調に進行中です。今年中に完成したものをリリースできれば、と思ってます。完成版に対しては、みんなからもさまざまな感想や意見がでてくるのではないかと思います。

ロジャー、ブライアン、そして僕自身にとってもなかなか簡単な作業とはなっていません。僕たちの中でも意見が違い、合意するまでに時間もかかってしまうのです。

とはいえ、ベストを尽くします。ベストを尽くす事が僕たちにできる最善のことだから。

Queen最後のアルバムがリリースされて良かった、意味があるものだった、と感じてもらえることを願っています。

ではまた

ジョン・リチャード・ディーコン

ブライアン・メイQ&A (2001年Queenコンベンション)

2001年のQueen コンベンションで会場から寄せられた質問とブライアン・メイの答えの中から個人的に興味深かった部分を抜粋て訳しました。

(フレディがいない中でのグレイテスト・ヒッツⅢを制作はどうでしたか?)1:35

心の中で綱渡りをしているようだった。僕らはみんな何度か(綱渡りの)ロープからも落ちてしまったと思う。グレイテスト・ヒッツⅢを制作中、何度も何度もフレディの声を聴くのはとても辛かった。形になり始まると大きな喜びもあった。スタジオでみんなでレコーディングしたかのように感じることもあった。実際には収録された曲はどれも一緒にレコーディングしたものではなく、ある瞬間瞬間をとらえたものを集めたものだ。

人々が過去の遺物の寄せ集めだと思わずに笑顔になり、楽しむことができる作品となってくれたことがとても嬉しいよ。僕ら自身は過去の遺物ではあるんだけどね。誇りに思える出来のとても好きなアルバムになった。

トラック13はお気に入りだよ。やったことのない試みだったから。フレディも気に入ってくれてたんじゃないかな。彼の声も何か所かに入っているからね。まあ、難しいプロジェクトではあったよ。

僕は自分の2つ目のソロアルバムの制作にとりかかるつもりだったが、結局約2年半、グレイテスト・ヒッツⅢにかかった。その後に再開したソロアルバムの内容にも影響し、当初考えていた内容より大きく変わったものに仕上がった思う。とはいえ、そう変わる運命だったんだろうね。

(もしフレディがが今も健在だったとしたら、クイーンの音楽はどんな方向へいっていたでしょう?)8:52

ブライアン:なんて難しい質問なんだ。まず、フレディが今もここにいたらクイーンは今も活動を続けていただろうね。どんなに困難があってもクイーンとして活動するという事は価値がある事だからね。ソロの活動もしてるだろうけど、時々集まってクイーンとしても活動していたのは絶対だね。どんな方向に向かっていったか、は全く想像がつかないね。クイーンはまっすぐに一つの道に向かうことはなかったから。同じことを繰り返さなかった事は誇りに思ってるくらいさ。

変わった新しい事を試していただろうと思うよ。僕たちは世界が僕たちに望んでいるのかをわかってはいたけど、望まれてる形にはなりたくなかったんだ。きっと流行の音楽とは一線を画す面白いものを作っていたと思うよ。

(私と結婚してくれませんか?)13:00

ブライアン:慎重に答えなければならないね。こんな質問をもらえるなんてありがたいね。心の底からお礼を言うよ。でも、本当の僕を知っていたら、僕と結婚したいなんて思わないかもしれないよ。離婚歴あり。どうなるだろうね。

(クイーンのメンバーとして活動するより、ソロで活動する方が満足感や喜びが大きいですか?)15:22

ブライアン:良い質問ばかりだね。自分のやりたいことをやれるのは楽しいし、夢のようにありがたいことだ。

でも、ジョン・レノンが言っていたように、部屋を見まわし、そこにみんながいてくれたら、と思う事があるよ。バランスが重要だよね。今もクイーンが活動を続けていて、自分がそういうバランスをとれていたらよかった。僕たちはお互いが作用しあい素晴らしいものを作り上げていた。それが恋しい。それが恋しいととてもよく考えてる事を認めるよ。ソロ活動も良いけれど、他の3人とともにスタジオに入って行けてたら最高だったろうな。ソロでもクイーンでも素晴らしい経験をさせてもらった。

(ツアーに必ず持っていくものはありますか?)22:35

昔はあったけど、今はないよ。子供っぽかったんじゃないかな。今は現地の食べ物を楽しもうと思っている。以前は子供たちもHPのベイクドビーンズやトマトスープなんて持って行ってたけど、今は行った先の食べ物を食べるね。ツアーの時は1つのスーツケースにもしもの時のための薬やビスケット、チョコレートとかを持って行っていたよ。人生は新しい体験のためにある。オープンでいないと新しい体験はできないよね。ひとつだけ必ず持って行くものがある。片頭痛の薬。

(できなかった事で後悔していることは?)25:24

オリジナルに欠ける答えを言うこともできるね。アルベルト・アインシュタインの答えを知ってる? アインシュタインは「あなたは輝かしい功績を残されていますが、何か後悔していることはあるますか?」と聞かれ、「1人の女性と生涯を添い遂げたかった」と答えたんだ。僕もそうできたらよかったと思う。人生が崩れていくような事を経験せずに済んだだろうし、そのことを誇りにも思えていたんじゃないかな。
後悔している事か…そうだな、20代のうちに自分の恐れと対峙していたら良かったと思うね。最悪の状況を潜り抜けた今、より良い人間になれたと感じる。もっと早く恐れと向き合えていたらいろいろなこと、人間関係とか、もっとうまくいっていただろうと思うね。とは言っても、これも運命だよね。今はここに辿り着いたことをありがたく思う。

(あなたの作った曲の中で、あなた自身を最も表している曲は?)26:55

答えられないね。なぜならどの曲も当てはまるから。曲を作るにあたって、僕は常にありのままの気持ちを表してきたんだ。時にはあまりにも率直になりすぎたこともあった。だからどの曲にも僕自身が大きくと投影されている部分がある。曲によって度合いが違うけれど、常に自分自身を投じてきた。

(ロジャーが3人でまたレコーディングすることがあるかもしれない、とほのめかしていたようですが、あり得るのでしょうか?)41:01

あり得ることだと思うよ。いつ、どこで、確実にありえるのかどうかはわからないけれど。できたらいいな、とは思う。みんなもそう思うかな?

 

<おまけ>

今日3月9日にちなみ、スターマス フェスティバルという天文学、宇宙探査、音楽、芸術などを祝うイベントで披露された ‘39。

ブライアンによる曲紹介の日本語訳を。

 

ブライアン: この曲は1976年頃僕が書いた曲で、当時僕は人類が宇宙へ進出し、ひろがっていくことはよいアイデアだと思っていました。今は、この地球で人間が行ってきた酷いことを思うと自信は持てません。この曲は宇宙船についての曲で、ここにきているみなさんにはアインシュタインの一般相対性理論における時間の遅れについてご説明する必要はないですよね?

(会場から必要とする声)

え、必要なの?

大まかにいうと、光の速さに近いスピードで宇宙へ長旅をすると距離にはひずみが生まれ、さらには自分と地球にいる人々の間で流れる時間が変わってしまうわけです。なので、僕たち宇宙飛行士が新たな天地を求め、光の速さに近い速さで宇宙へ行ったとすると、戻ってきた時には、自分たちには1年位しか感じられなくても。地球では100年が過ぎてしまっているということがあり得るのです。僕は戻ってきたときに、タイムトラベルをしたかのように愛する人々がすでにいなくなっていたとしたら、どんな気持ちになるのだろう、と思いました。この曲を聴きながら、そんな事に思いをはせていただけたらと思います。

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「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」

 

フレディ・マーキュリーがご家族と住んでいた家のブルー・プラーク除幕式でのブライアン・メイのスピーチの日本語訳です。ブライアンがこの家を訪れた時のフレディとのやりとりが面白いです。

ブライアン・メイ: 皆さんお集りいただきましてありがとうございます。ここ立つことを光栄に思います。
なんだか不思議な気持ちです。

フレディと僕の出会いは約50年前にさかのぼります。
ここで彼のお父さんやお母さんとお会いしました。
この場所にこのように友人を追慕し、銘板を掲げることになるなんて僕たちには想像することもできませんでした。
喜ばしい機会ではありますが、寂しくもあります。なぜならフレディは今もここにいて、創作しているはずだったからです。

フレディとの出会いはロジャーと僕たちが組んでいたバンド スマイルのヴォーカルのティムを通してでした。僕らはフレディがグラフィックデザインを学んでいたイーリング・テック(Ealing Technical College and School of Art) で出会いました。フレディは当時ジミー・ヘンドリックスなどの絵ばかりを描いていたものです。

この家に訪れて来た時の事をよく覚えています。彼のダンセット社のレコードプレーヤーが置かれた小さなリビングルームに通されました。オートチェンジャーがついたプレーヤーで魅力的な音を奏でるものでした。

フレディがレコードをかける姿を鮮明に覚えています。たぶんジミー・ヘンドリックスの “Axis: Bold As Love” だったと思います。

彼は興奮気味に「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」と言いました。僕は「わかるよ、ジミー・ヘンドリックスだろう? 彼は最高だよな。僕たちも大好きさ。」と。すると彼は「違う違う違う、よく聴いて、どうやって構成されてるか。このギターの音がここからきて、で、こっちから、そしてあっちから聞こえるんだ。動き回ってるんだよ!僕らはこういう事をやらなきゃいけないよね!僕らはこれをやろう!」と言ったのです。

僕は「えっ!?」と驚きました。彼は「そうさ、僕らはグループを作るんだ!」と続けました。その時、僕は心の中で 「君は歌えるの??」 と思いました。

僕たちはとてもとても初期段階のステージ上を走り回る表現力豊かなフレディしか見たことがありませんでした。カッコよくきめていましたが、あまり歌は歌っていませんでした。歌ってもハイテンションで叫んでるような感じでした。彼がのちに素晴らしく、輝かしい、そして見事にしっかりとしたパフォーマー、フレディ・マーキュリーになるなんて誰も想像できなかったことでしょう。

その後の話はみなさんもご存じの通り。僕たちボーイズは、フレディ、僕、ロジャー、ジョンで世界を征服したわけです。夢にも見なかった事でした。僕たちは人々の人生の一部となりました。それが今日この場につながります。
時々、朝起きて ”いったいどうやってあんなことが起こったのだろう” と思います。

まだ言っていないことがありました。フレディも僕もここフェルトンで育ちなんです。僕はここから300ヤードほど先に住んでいました。でもイーリング・テックでティムに紹介されるまでお互いを知らずに育ちました。
フレディがどんなだったか、短い言葉でまとめることは難しいです。
彼はシャイな男子でした。

出会った頃は ”大人な” 僕らとは違い彼は実家に住んでいることを恥ずかしがっていたようでした。なので、彼はよく友達の所に転がり込んでは床で寝ていたものです。

先ほど僕はちゃかして説明してしまいましたが、フレディははじめから観客とつながり、みんなをワクワクさせる事ができるとても類まれなる才能を持っていました。ですからでグループを結成する、と決めた時も僕たちは彼が特別な人間だという事はわかっていました。

彼は人々に自分たちもできる、と思わせることができる人間だったと僕は思います。1986年ウェンブリースタジアムにいた男も女もフレディが彼ら自身の象徴であり、彼らの夢の代表であり、一生懸命に取り組めばどんな夢でも叶うと感じました。

フレディは彼の芸術に向けて100万パーセント一生懸命でした。彼は音楽を愛し、ミュージシャンとしての彼自身を作る事も大好きでした。彼は全世界とつながっていました。

このブルー・プラークを掲げられる事をとても喜ばしく思います。彼の素晴らしい妹、カシミラさんをご紹介します。

カシミラさん:みなさん、こんにちは。今日ここにこうして私の兄フレディのためのブルー・プラークを披露できる事をとても嬉しく、また誇りに思います。


フレディとの最初の出会いを以下のインタビューでも聞くことができます。

2:16~

ブライアン:フレディと一番最初に出会ったのは彼が僕たちのギグに来た時だ。コンサートとは呼ばないものだったね。僕たちは大学の食堂や小さなクラブ、バーなんかで演奏していたんだ。誰も本気では聴いてなくて、僕らも好きに演奏してた。

そこへフレディはやってきた。彼は「君たちってすごい。最高だ!最高!ほんとに素晴らしい!でもね、こうやったらいいよ、ああやったらいいよ、もっとショーらしく、ドラマティックに、サウンドはこう、さらにこう照明を使って…」と言ってきたんだ。僕らは「わかった、フレディ。」それから ”誰この人?” とお互いの顔を見合わせた。(笑)で、「キミは何者?」と聞くと「僕は歌手さ、ダーリン」と言ってきた。僕らは「あー、本当。わかった、わかった」って対応だったのだけど、何度もギグに来るんだよね。そのうち僕らのバンドはあまりうまくいかず、リードシンガーは世界的に有名になった(皮肉たっぷりに)ハンピーボングというバンドに引き抜かれてしまったんだ。彼は大物になるために出て行ったけど、残された僕たちはどうすればいいんだ、と困っているところにフレディが「僕がキミたちのために歌ってあげるさ」と言ってきたんだ。

それで僕たちは練習を始めたわけなんだけど、第一印象は「Oh my God…」(やばい…)だったね。

なんというか、ほとばしり出るような威勢の良さ(ebullient*)、あふれんばかりの元気さ(exuberant**)。動き回って大声で叫んでる感じ。僕たちはあっけにとられたけれど、まあフレディ自身は良かれと思ってやっていることだし、良しとした。

(* ** 訳注: と言ってると思います。違ったらごめんなさい)

何度かリハーサルし、試験的に小さなギグをしていくうちにこのフレディという男はきちんと歌えるし、良いアイデアをたくさん持っているということ事に気が付いたんだ。

僕たちにはベースプレーヤーがいなくて困っていた。いろんな人を試したけれど、僕らに合うスピリットを持ち合わせた人がいなかった。6人ぐらい試した後、ジョン・ディーコンを見つけたんだ。僕たち4人はぴったり合った。こうしてその瞬間クイーンは誕生し、僕たちの人生が変わった。クイーンが僕たちをどこへいざなってゆくのか、誰一人としてその時には気が付いていなかった。信じられないことだよね。僕らは不可能な夢を持ったただの若者だったんだ。

No One But You/Queen メイキング日本語訳

 

ロジャー・テイラー: ブライアンがテープをくれたんだけど、聴くのをすっかり忘れてしまっていて

ブライアン・メイ: 忙しかったようでロジャーは渡したテープを引き出しかどこかにしまってしまい、何か月もたってから僕に興奮しながら電話してきたんだ。「今、曲を聴いたんだけど、素晴らしいじゃないか、クイーンの曲としてやろう!」とね。

ロジャー: それで再集結したら以前と変わらないケミストリーを感じたね。もう一度ブライアンとジョンと演奏できてとてもとても楽しかったよ。

ブライアン: ダイアナ妃が亡くなったばかりの頃で、ロジャーにはフレディ、ダイアナ妃、ジャンニ・ヴェルサーチの事にも思えたそうだ。彼はこの曲を発表することには重要な意味があると確信があり、クイーンの曲としてやらなければいけない、と言ったんだ。

ブライアン: とてもシンプルなセットを準備した。意図的にセットに見えないようにしたんだ。僕らがスタジオかリハーサルの部屋で曲を練習しているようなテーマにしたんだ。観客のためでなく、リラックスしてお互いのためだけに演奏している僕たちだ。

中略

ブライアン: クイーンのビデオ撮影ならフレディはピアノに向かい、紙コップやいろんな物が ピアノの上に置かれていて、フレディは飲んだりしていただろう。コンサートだとシャンペンが入ったグラスが置かれていて、「Cheers, darlings(ダーリンたち、乾杯)」とか言ったものだよね。

カメラの視点は常にセットの中を動き続け、歩きながら見てまわっているように撮影した。

僕の周りに来たり、ロジャーやジョンの周りに行ったりね。

普通ビデオを撮影するときは固定のカメラがいくつかの位置にあるだけだけど、

このビデオの視点はまるで、ブラブラと歩き回ってる誰かの目線で、

まるで、まるで訪ずれてきた誰かのようにね。

(3:36~のあたりです。ブライアンがSo, maybe you are … May be you are a visitor. と言う部分、So may be you are…で声が詰まるブライアン。 Freddie と心の中で言っているように感じました。)

ロジャー: 僕らは常にいつもフレディが近くにいるように感じるんだ。長いこと一緒にいたから、どんな時にどんなことをするか、何を言われるかも想像がつく。「やめろよ、バカげてる」とかね。だから撮影中はそんな事を感じていたね。


ミュージックビデオは上からカメラが下りてきてブライアン、ジョン、ロジャーの周りをゆっくりと動く。フレディが3人の周りを歩いているように撮影されていたのですね。

そしてブライアンの弾くピアノの上にあるシャンパンはフレディがグラスを持ち上げて

“Cheers, darlings. ”

と言ってくれるかな、という思いが込められていたとは。

😢

 これがクイーン3人にとっての本当の追悼の曲となったのではないかな、と思いました。

白黒で天使の視点から見せるような映像はヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』や『時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!』を彷彿とさせます。

 

 

 

 

 

 

ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー インタビューなどメモ

 

ロジャーとジョン2人だけが出演した番組で、司会者がどのようにバンドが結成されたかをジョンに質問。

ジョン: 僕が入った時にはすでにクイーンというバンドは結成されていたんだ。だからその質問に答えるのにはふさわしくないよ。

ロジャー: どうやら僕が答えるしかないようだね。

((2人しか出演してないからロジャーが答えるのは当たり前なのにそんなロジャーの対応にウケて笑いながらロジャーの肩に手をやるジョン))

ロジャー: (バンドの結成までの話 省略)

で、僕らのバンドにはベーシストがいなかった。6人くらい試したけど、彼らは演奏ができると性格が悪かったり、性格が良いと演奏ができなかったりで、僕らにぴったりの人はいなかった。最後にようやく僕らはコレを見つけたんだ (ジョンを指差す)。

ジョン: え、つまり…

(コレ呼ばわりされたけど、気にならないくらい嬉しそうなジョン)

司会: あなたは性格も良く、演奏も素晴らしかった、というわけですね

ロジャー: ぴったりだった、というわけさ。

 

2019/2/27 追加

 

司会: アカデミー賞授賞式でのオープニングでの演奏、どんな感じだったのでしょうか。緊張しましたか?

ロジャー: 素晴らしかったよ。自分の池から飛び出して泳いでいるようだった。アカデミー賞授賞式のオープニングをやるなんて考えてもみないことだったよね。正直に言うよ。緊張しなかったね。アダムは(超高級)ジャケットのせいで緊張していたみたいだけど(笑)。いや、僕たちは何度も一緒に仕事してるから大丈夫だったよ。

司会: 素敵なラブストーリーでもありますよね。ラミはフレディと恋に落ちるメアリーを演じたルーシーと恋に落ちたわけですから。

ロジャー: その点に誰かが気づいてくれるかと思っていたけど、君がそれを指摘してくれた最初の人だよ。

司会: クイーンのファンとしてはラミは完全にフレディになりきっていたと思いましたが、親友でもあったあなたから見てどうでしたか?

ロジャー: 彼は精神面でとてもフレディに近づいていたと思うね。瞳の中にはフレディの精神が宿っていたよ。体格などフィジカルな面では違ったけど、フレディを熱演してくれた。映画の魔法を考慮しない批評もあったけれど、

司会: もっと荒々しくダークな物語であるべきだった、という批評をよく見かけました。私はなぜ暗さが望まれるのか、なぜ素晴らしい人物を讃えるだけではいけないのか理解できませんでした。

ロジャー: 僕は心の響き、元気がでるような作品になって欲しいと思っていたよ。観客もそう感じてくれた事を願う。僕らは別に何かを隠そうとか、尻込みしていたわけじゃないよ。