イニャリトゥ監督とハビエル・バルデム 映画「Biutiful ビューティフル」インタビュー訳:
「この作品自体に光があると思うんだ。そう努力したよ。タイトルが示すように、この暗闇の中にも美しさがある。この作品は人生そのもので、輝きそのもの。エンディングから見れば人生の記録なんだ。」
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ハビエル・バルデム: いつもすごく思うんだけど、題材が良ければ上手くいくんだよね。
良い役柄で、脚本が良く出来ていていれば役柄のポイントは記されていて、それを追っていけばいいんだ。
映画の多くはそこまで良い題材でない事が多い。
その場合、僕たちは作品として成り立つくらいに、力強い人物像と物語を作り上げなければならない。
でも、本作は全てが脚本のページの上に描かれていた。
僕は描かれていた事を現実化し、この男がどんな男なのかを理解し、自分だったらどうするかを考えればよかった。
もちろん、その移行が難しいんだけど。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督: 私は僕の代名詞にもなりつつあった多重線上の物語というものから抜け出せるものを探していた。
そのような作品を3作品作ったわけだけど、簡単に予想されてしまうようにはなりたくなかったんだ。
そこで私は1人の主人公、一つの視点、一本のまっすぐな線を持った作品を作ってみたいと思ったんだ。
バルデム: ヘビーな役であればあるほど、役を演じるプロセスはヘビーになると思うんだ。
本作でたくさんの事を学んだけれど、一番重要な事はフィクションと現実を分ける一線を引く事だと思う。(バルデムは他のインタビューで5カ月にもわたる間、この人物に毎日なりきっている事の大変さを語っていた。)
イニャリトゥ: とてもハードな道のりだったと思うよ。私はとても多くを求めるし、主題もキツイものだったし。彼(ハビエル)は私が自分が求めるものを撮れるまで30、40、50テイクでも撮り直す事を知っていたしね。
バルデム: 彼(イニャリトゥ監督)は核心に迫る演技を求める。
だから、“演技”をする余地は無いんだ。そこにその人物としてそこに居なければならない。
そこに実在する本人になりきらなければならない。
彼は僕達が本物に限りなく近づけるように全てに気を配っていた。
イニャリトゥ: 子供達はとても素晴らしかった。
バルデム: 子供達は上手に割り切っていた。
おもちゃで遊んでいて、演技をし、また遊んでいたおもちゃに戻る。
とてもうらやましかったよ。僕もそうできたらいいのに、って言ったよ。
イニャリトゥ: この作品自体に光があると思うんだ。そう努力したよ。
タイトルが示すように、この暗闇の中にも美しさがある。この作品は人生そのもので、輝きそのもの。
エンディングから見れば人生の記録なんだ。
バルデム: きちんと完成したこの映画を直視することはできなかったよ。
自分の顔ばっかりで。演技をしなければいられない、って僕はよく言うんだけど、それは自分の演技を観たい、というのとは全く別物なんだ。
僕は演技をしなければいられないから役者をやっているけど、それを観たいわけじゃないんだ。
おまけ
(インタビュアー:普段、ボンドをやっていない時は物足りない、なんてことはないですか?)
ダニエル・クレイグ:『僕はいつでもボンドだよ。(真剣な顔)ボンドでない時なんてないよ。ehehehehe』
ハビエルのインタビュー動画をほとんど見尽くしたので、ダニエル クレイグのインタビューを流してました。
英国紳士はトム ヒドルストンのようにみんなeheheheと笑うのでしょうか?
かわいすぎますね。