Into Interstellar.

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It’s been more than 1 month since I saw “Interstellar” in the theater.
The thought that I may have missed something very big in this movie keeps coming up in my mind.
What is it?

Maybe this is the answer.
http://www.cinemablend.com/m/new/Why-Interstellar-Ending-Doesn-t-Mean-What-You-Think-It-Means-68115.html

インターステラーを観てから1ヶ月以上が経ちますが、何か大きな事を見逃しているような気がしてなりません。

単なる一つの説であり解釈ですが、 このリンク の記事を読んでなんとなくこれかも、と思いました。

何か、と言うと
(ここから先はネタバレを大いに含むので、まだご覧になられてない方はご注意ください。)

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リンク先の記事の著者の説はクーパーがアメリアがエドマンズの惑星へ辿り着けるように自らを犠牲にし、宇宙空間を漂う辺りからは実はもうクーパーは死んでいるのでは、というものです。
だから本棚の本の謎の解明も娘との再会も、あの彼が死を迎えるまでのフラッシュバック、又は亡くなった彼の思いを映像化したものなのではないか、ということです。いくつかの映画でも使われていた”実はずっと死んでた”セオリーは好きではないけれど、でも色々な点で合致する、と言っています。

先の場面で、2番目の惑星のマン博士はクーパーと “死に直面した時、人間は何を思うか?” という会話をします。そこでマン博士は “人間は子供の事を思い出すんだ”、というような話をしたかと思います。自分の子供に会うために生き延びよう、とする本能があるからだと。

記事の著者はクーパーが宇宙空間を漂うその辺りからは物語はあり得ないような展開に変化している事も挙げています。

そう言われてみると、
確かに再会した時のややあっさりとしたクーパーと娘の感情表現も”彼の想像”だとしたら、おかしくもないな、と思います。
あり得ないような人類移住の成功自体も無かった、という事になりますね。

ノーラン監督は観客の想像に任せはっきりとした見解は出してないそうですが、
この説は個人的には腑に落ちました。

インターステラーを観た直後に私はあるノーラン監督のある言葉を読んだのですが、その時はネタバレにしかならない時期でしたので、ツイートもせず、メモもとらなかったので、何で読んだのかも忘れてしまいました。探してますが、見つからず…見つかったらすぐにこちらに反映させます。

ノーラン監督は軽く “酸素のない宇宙で人間が生きられるわけはないんだ” というような内容の事を言っていたように覚えています。
それを読んだ時は、地球以外に住める惑星なんてあるわけないんだ、という意味だと解釈していましたが、先程の記事の説でもこと言葉はぴったり合うように思えます。

「僕はこの作品で、父親であることの意味を描いた。だからこそちゃんと物語のある映画になっていると思う。宇宙が舞台だからという理由で、宇宙の色々な側面を楽しむだけの作品ではなくてね。」

本作のパンフレットよりノーラン監督の言葉

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追記: この投稿を読んでくださった方がツイッターのリプで 本棚の現象を幽霊 と言っていた時点でクーパーの死を考えていた、とおっしゃっていました。
そうですよね。はっきり”幽霊”、って何度も言っていましたよね。なんだか目の前に置かれいたヒント、というより答えが見えていなかった気分です。
ノーラン監督はあえてはっきり言わなかった、あえて解釈を観客に委ねたわけですが、そのおかげでこの作品が人を惹きつけ、魅了するのだろうな、と思いました。