「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」

 

フレディ・マーキュリーがご家族と住んでいた家のブルー・プラーク除幕式でのブライアン・メイのスピーチの日本語訳です。ブライアンがこの家を訪れた時のフレディとのやりとりが面白いです。

ブライアン・メイ: 皆さんお集りいただきましてありがとうございます。ここ立つことを光栄に思います。
なんだか不思議な気持ちです。

フレディと僕の出会いは約50年前にさかのぼります。
ここで彼のお父さんやお母さんとお会いしました。
この場所にこのように友人を追慕し、銘板を掲げることになるなんて僕たちには想像することもできませんでした。
喜ばしい機会ではありますが、寂しくもあります。なぜならフレディは今もここにいて、創作しているはずだったからです。

フレディとの出会いはロジャーと僕たちが組んでいたバンド スマイルのヴォーカルのティムを通してでした。僕らはフレディがグラフィックデザインを学んでいたイーリング・テック(Ealing Technical College and School of Art) で出会いました。フレディは当時ジミー・ヘンドリックスなどの絵ばかりを描いていたものです。

この家に訪れて来た時の事をよく覚えています。彼のダンセット社のレコードプレーヤーが置かれた小さなリビングルームに通されました。オートチェンジャーがついたプレーヤーで魅力的な音を奏でるものでした。

フレディがレコードをかける姿を鮮明に覚えています。たぶんジミー・ヘンドリックスの “Axis: Bold As Love” だったと思います。

彼は興奮気味に「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」と言いました。僕は「わかるよ、ジミー・ヘンドリックスだろう? 彼は最高だよな。僕たちも大好きさ。」と。すると彼は「違う違う違う、よく聴いて、どうやって構成されてるか。このギターの音がここからきて、で、こっちから、そしてあっちから聞こえるんだ。動き回ってるんだよ!僕らはこういう事をやらなきゃいけないよね!僕らはこれをやろう!」と言ったのです。

僕は「えっ!?」と驚きました。彼は「そうさ、僕らはグループを作るんだ!」と続けました。その時、僕は心の中で 「君は歌えるの??」 と思いました。

僕たちはとてもとても初期段階のステージ上を走り回る表現力豊かなフレディしか見たことがありませんでした。カッコよくきめていましたが、あまり歌は歌っていませんでした。歌ってもハイテンションで叫んでるような感じでした。彼がのちに素晴らしく、輝かしい、そして見事にしっかりとしたパフォーマー、フレディ・マーキュリーになるなんて誰も想像できなかったことでしょう。

その後の話はみなさんもご存じの通り。僕たちボーイズは、フレディ、僕、ロジャー、ジョンで世界を征服したわけです。夢にも見なかった事でした。僕たちは人々の人生の一部となりました。それが今日この場につながります。
時々、朝起きて ”いったいどうやってあんなことが起こったのだろう” と思います。

まだ言っていないことがありました。フレディも僕もここフェルトンで育ちなんです。僕はここから300ヤードほど先に住んでいました。でもイーリング・テックでティムに紹介されるまでお互いを知らずに育ちました。
フレディがどんなだったか、短い言葉でまとめることは難しいです。
彼はシャイな男子でした。

出会った頃は ”大人な” 僕らとは違い彼は実家に住んでいることを恥ずかしがっていたようでした。なので、彼はよく友達の所に転がり込んでは床で寝ていたものです。

先ほど僕はちゃかして説明してしまいましたが、フレディははじめから観客とつながり、みんなをワクワクさせる事ができるとても類まれなる才能を持っていました。ですからでグループを結成する、と決めた時も僕たちは彼が特別な人間だという事はわかっていました。

彼は人々に自分たちもできる、と思わせることができる人間だったと僕は思います。1986年ウェンブリースタジアムにいた男も女もフレディが彼ら自身の象徴であり、彼らの夢の代表であり、一生懸命に取り組めばどんな夢でも叶うと感じました。

フレディは彼の芸術に向けて100万パーセント一生懸命でした。彼は音楽を愛し、ミュージシャンとしての彼自身を作る事も大好きでした。彼は全世界とつながっていました。

このブルー・プラークを掲げられる事をとても喜ばしく思います。彼の素晴らしい妹、カシミラさんをご紹介します。

カシミラさん:みなさん、こんにちは。今日ここにこうして私の兄フレディのためのブルー・プラークを披露できる事をとても嬉しく、また誇りに思います。


フレディとの最初の出会いを以下のインタビューでも聞くことができます。

2:16~

ブライアン:フレディと一番最初に出会ったのは彼が僕たちのギグに来た時だ。コンサートとは呼ばないものだったね。僕たちは大学の食堂や小さなクラブ、バーなんかで演奏していたんだ。誰も本気では聴いてなくて、僕らも好きに演奏してた。

そこへフレディはやってきた。彼は「君たちってすごい。最高だ!最高!ほんとに素晴らしい!でもね、こうやったらいいよ、ああやったらいいよ、もっとショーらしく、ドラマティックに、サウンドはこう、さらにこう照明を使って…」と言ってきたんだ。僕らは「わかった、フレディ。」それから ”誰この人?” とお互いの顔を見合わせた。(笑)で、「キミは何者?」と聞くと「僕は歌手さ、ダーリン」と言ってきた。僕らは「あー、本当。わかった、わかった」って対応だったのだけど、何度もギグに来るんだよね。そのうち僕らのバンドはあまりうまくいかず、リードシンガーは世界的に有名になった(皮肉たっぷりに)ハンピーボングというバンドに引き抜かれてしまったんだ。彼は大物になるために出て行ったけど、残された僕たちはどうすればいいんだ、と困っているところにフレディが「僕がキミたちのために歌ってあげるさ」と言ってきたんだ。

それで僕たちは練習を始めたわけなんだけど、第一印象は「Oh my God…」(やばい…)だったね。

なんというか、ほとばしり出るような威勢の良さ(ebullient*)、あふれんばかりの元気さ(exuberant**)。動き回って大声で叫んでる感じ。僕たちはあっけにとられたけれど、まあフレディ自身は良かれと思ってやっていることだし、良しとした。

(* ** 訳注: と言ってると思います。違ったらごめんなさい)

何度かリハーサルし、試験的に小さなギグをしていくうちにこのフレディという男はきちんと歌えるし、良いアイデアをたくさん持っているということ事に気が付いたんだ。

僕たちにはベースプレーヤーがいなくて困っていた。いろんな人を試したけれど、僕らに合うスピリットを持ち合わせた人がいなかった。6人ぐらい試した後、ジョン・ディーコンを見つけたんだ。僕たち4人はぴったり合った。こうしてその瞬間クイーンは誕生し、僕たちの人生が変わった。クイーンが僕たちをどこへいざなってゆくのか、誰一人としてその時には気が付いていなかった。信じられないことだよね。僕らは不可能な夢を持ったただの若者だったんだ。

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No One But You/Queen メイキング日本語訳

 

ロジャー・テイラー: ブライアンがテープをくれたんだけど、聴くのをすっかり忘れてしまっていて

ブライアン・メイ: 忙しかったようでロジャーは渡したテープを引き出しかどこかにしまってしまい、何か月もたってから僕に興奮しながら電話してきたんだ。「今、曲を聴いたんだけど、素晴らしいじゃないか、クイーンの曲としてやろう!」とね。

ロジャー: それで再集結したら以前と変わらないケミストリーを感じたね。もう一度ブライアンとジョンと演奏できてとてもとても楽しかったよ。

ブライアン: ダイアナ妃が亡くなったばかりの頃で、ロジャーにはフレディ、ダイアナ妃、ジャンニ・ヴェルサーチの事にも思えたそうだ。彼はこの曲を発表することには重要な意味があると確信があり、クイーンの曲としてやらなければいけない、と言ったんだ。

ブライアン: とてもシンプルなセットを準備した。意図的にセットに見えないようにしたんだ。僕らがスタジオかリハーサルの部屋で曲を練習しているようなテーマにしたんだ。観客のためでなく、リラックスしてお互いのためだけに演奏している僕たちだ。

中略

ブライアン: クイーンのビデオ撮影ならフレディはピアノに向かい、紙コップやいろんな物が ピアノの上に置かれていて、フレディは飲んだりしていただろう。コンサートだとシャンペンが入ったグラスが置かれていて、「Cheers, darlings(ダーリンたち、乾杯)」とか言ったものだよね。

カメラの視点は常にセットの中を動き続け、歩きながら見てまわっているように撮影した。

僕の周りに来たり、ロジャーやジョンの周りに行ったりね。

普通ビデオを撮影するときは固定のカメラがいくつかの位置にあるだけだけど、

このビデオの視点はまるで、ブラブラと歩き回ってる誰かの目線で、

まるで、まるで訪ずれてきた誰かのようにね。

(3:36~のあたりです。ブライアンがSo, maybe you are … May be you are a visitor. と言う部分、So may be you are…で声が詰まるブライアン。 Freddie と心の中で言っているように感じました。)

ロジャー: 僕らは常にいつもフレディが近くにいるように感じるんだ。長いこと一緒にいたから、どんな時にどんなことをするか、何を言われるかも想像がつく。「やめろよ、バカげてる」とかね。だから撮影中はそんな事を感じていたね。


ミュージックビデオは上からカメラが下りてきてブライアン、ジョン、ロジャーの周りをゆっくりと動く。フレディが3人の周りを歩いているように撮影されていたのですね。

そしてブライアンの弾くピアノの上にあるシャンパンはフレディがグラスを持ち上げて

“Cheers, darlings. ”

と言ってくれるかな、という思いが込められていたとは。

😢

 これがクイーン3人にとっての本当の追悼の曲となったのではないかな、と思いました。

白黒で天使の視点から見せるような映像はヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』や『時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!』を彷彿とさせます。

 

 

 

 

 

 

ブライアンのインスタの投稿

今日、2時間くらい前のブライアンのインスタの投稿を日本語に訳しました。

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Packing up after a very productive photo session with brilliant photographer Rankin. Thanks @rankinarchive !!! And … yes, I have backed off a little. I don’t feel the urge to be very interactive right now. Thanks for the good wishes, good IG pals. Thanks for caring. Yes, that sudden shitstorm last week on my own IG comments page did shock and sadden me. And it has changed the way I feel about a lot of things. It’s made me ask myself all over again why we all want to do this. Why we want to ‘perform’ on Instagram – what we are looking for. And it taught me a lesson which should have been obvious for a long time ago, and perhaps is good for us all to remember. It’s a terrible mistake to imagine that all your ‘followers’ are your friends. Thanks again to all of you who believed and supported me in my hour of being pilloried. I’m not going to do anything dramatic. I’m still here. But I will never quite feel the same about Instagram again. That feeling of trust has gone. It’s made me look again at those stories of kids being bullied to the point of suicide by social media posts from their ‘friends’, who have turned on them. I now know first hand what it’s like to feel you’re in a safe place, being relaxed and open and unguarded, and then, on a word, to be suddenly be ripped into. It’s OK – I’m not looking for sympathy. I’m a grown-up – I can deal with it. I’ll just behave a little differently from now on. Take care out there, folks – and I mean that ! Cheers! Bri

A post shared by Brian Harold May (@brianmayforreal) on

 

素晴らしい写真家ランキン氏との有意義なフォトセッションを終え、

片づけをしているところです。

 

そしてはい。お察しの通り、僕はインスタから少し距離をおこうと思いました。

今は積極的にみなさんとインタラクトしたいという気持ちが持てません。

温かい言葉をかけてくれた優しいインスタ仲間のみなさん、ありがとう。気をかけてくれてありがとう。

はい。先週、僕のインスタのページで起きた突然の異常な状況、コメントの嵐にはショックを受けましたし、驚かされました。

そしてこの出来事は僕の様々な物事への感じ方も変えてしまいました。

自分はなぜ、こんなことをしたいのか、

何のためにインスタで  ”発信するのか、

根底から考えさせられました。

私たちは何を求めているのでしょう。

そしてこの出来事は、もうずっと以前から知っているべきであった事を僕に教えました。

私たち皆にとっても覚えておくのが良い事かもしれません。

私たちのフォロワーがみな私たちの友達だと想像するのはひどい間違いだ、という事です。

僕がやり玉にあげられている間、僕を信じ、サポートしてくれたみなさんにもう一度ありがとう。

何か劇的な決断をするつもりはありません。

今もこうしてココにいます。

しかし、以前のような気持ちをインスタグラムに感じることはもうできないでしょう。

信頼は消えてしまいました。

僕はソーシャルメディアで フレンドたちからいじめられ自殺に追い込まれた子供たちの話を見直しました。

僕は身をもって、自分が安全な場所で無防備にリラックスしている状態から

突然の猛攻撃を受ける、という事がどんなことか理解しました。

大丈夫です。同情を求めているわけではありません。

僕は大人ですから対処できます。

ただ、これからはやり方を少し変えていこうと思います。

みなさんも気を付けて。

本当に!

ではまた!

Bri

 

 

このブライアンの投稿の後

去年ネット上でのいじめで自殺未遂をした14歳の女の子が

“子供だけでなく大人だって弱く、ターゲットになることがあるとわかった”

また、”自分と同じような思いをしている子を救うことを目標として生活している”

という内容のコメントしました。

それに対しブライアンが

”もうしばらくはどんなコメントにも返信しないようにしよう、と思っていたけれど、君のコメントですでに気持ちが変わりました。君はとても若いのに、非常につらい思いを乗り越えてきたのですね。君のコメントで僕も謙虚な気持ちなりました。ただ、関心や見る目的が違う世界中の人々が見ることがソーシャルメディアでは人は攻撃を受けやすいという事を忘れないでね。”

という内容の返信していました。

—–

ブライアン・シンガー監督にかけられている疑惑は別問題として、無罪の推定という当たり前の事をブライアンが言っただけで猛攻撃を受け、謝罪をするにあたった経緯を見ていてブライアンのファンとしてかなり驚きました。

ちなみに日本ではブライアンのコメントは冷静で事実を述べている、という内容の感想が多かったようで安心しました。

問題とされたインスタでのコメント:

正しい事も大多数の意見が間違えと見なされる。まるでポピュリズムに支配されつつある世界の縮図のようにすら感じてしまいました。

ブライアンの謝罪は実に真摯であり、自分のコメントで傷つけてしまった人々へ心からのものでした。

直後、”謝ってくれて良かった”、”誰でも間違えは犯すから大丈夫” という内容のコメントがとても多く見受けられ、どれだけ正論が通じないインスタ世界なのだろう、と感じました。

謝罪を求めた人々、シンガー監督をブライアンが擁護していると捉えて “ブライアンにはとても失望した”、という内容のコメントを寄せていた人々の多くは、最近ファンになったと思われる海外の子達のようでした。

今の若い世代のクイーンブームを巻き起こし、楽しい記事や情報を次々と発掘、発信している若い子達。私もクイーンの情報などの恩恵を受け、楽しませてもらってきましたが、若いゆえの知識不足や短絡的な考えにより、こういった事も起こりえるのですね。

この出来事はブライアンの心の中にあったファンとの連帯感みたいなものを壊してしまったかも、と感じていました。

まとまりがなく、夜遅くで打ち間違えも多い文章なってしまいましたが、この件に関しては思うところがあり、投稿として残しました。

 

 

”完璧はギリギリで避けよう” ブライアン・メイ インタビュー訳

心に残った部分を少し訳しました。

(音楽以外の分野でもご活躍されお忙しいと思いますが、コンサートに向けての準備や練習はどのようにしてますか?)

16:23

ブライアン・メイ: コンサートでの曲目のリストを覚えるのはだいたい問題ない。

でも若い頃、試験に向けてきちんと覚えた部分はあっても、試験前日の夜にも詰め込み勉強をしたように、復習をする部分があるよ。

打ち明けてしまうとね、

数えきれないほど演奏してきた ”Somebody to Love” のソロの部分だって間違えたキーから始めてしまったら終わりだよね。だからステージに出る前にギターを抱えておさらいすんだ。(17:14 おさらいする真似をするブライアン✨)

中略

ギターを弾く上で、失敗は受け入れなくてはいけないと思う。

中略

そしてツアーでライブの前の練習がとても上手くいってる時も僕たちは ”完璧はギリギリで避けよう”、と言うんだ。

完璧を目指し、完璧に執着するのは一種の病気のようであり、また完璧にできているとしたら、何かがおかしいと思う。退屈だし、自分自身がチャレンジしてないということになると思う。

ミスをしないとしたら、僕が目指すプレイヤーに僕自身はなれていないと思うんだ。

レコードと同じ演奏をするのは大嫌いだ。リスクをもろともしない演奏をしたいね。

ジョン・ディーコン インタビューなどメモ

とりあえず、1つ目のメモ。

ロジャーとジョン2人だけが出演した番組で、司会者がどのようにバンドが結成されたかをジョンに質問。

ジョン: 僕が入った時にはすでにクイーンというバンドは結成されていたんだ。だからその質問に答えるのにはふさわしくないよ。

ロジャー: どうやら僕が答えるしかないようだね。

((2人しか出演してないからロジャーが答えるのは当たり前なのにそんなロジャーの対応にウケて笑いながらロジャーの肩に手をやるジョン))

ロジャー: (バンドの結成までの話 省略)

で、僕らのバンドにはベーシストがいなかった。6人くらい試したけど、彼らは演奏ができると性格が悪かったり、性格が良いと演奏ができなかったりで、僕らにぴったりの人はいなかった。最後にようやく僕らはコレを見つけたんだ (ジョンを指差す)。

ジョン: え、つまり…

(コレ呼ばわりされたけど、気にならないくらい嬉しそうなジョン)

司会: あなたは性格も良く、演奏も素晴らしかった、というわけですね

ロジャー: ぴったりだった、というわけさ。

オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話

オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話。

メインの講演は結核菌を持ったアナグマが牛の全体の結核を引き起こす要因であると科学的に証明されていないのにも関わらず、アナグマをランダムに殺すことがいかにおかしいことであるか、また牛の結核予防には予防接種をすべきである、というような内容のお話でした。

それはそれで興味深く、勉強になりました。

ここではQ&Aで心に残ったブライアンの答えをご紹介します。

Queenに関するQ&A。

(あなたのキャリアの中で一番誇りに思う出来事は?)

ブライアン: いくつもあるけれど、おそらくバッキンガム宮殿の屋上で演奏したことかな。

よくみんなに 怖かったか、と聞かれる。

たしかに怖かったよ。

屋根から落ちると思ったかといったら

それはなかった。落ちるとは思わなかったよ。

けど、もし、しくじったらバッキンガム宮殿の屋根から飛び降りようかとは思った。

(会場 笑い)

僕にとってあの演奏は冒険であり、挑戦であり、人生を変えるものだった。

とてつもない恐怖を乗り越え、平静さを保たなければならなかった。

僕があの演奏をしたのにはいくつかの意味が含まれていた。

女王陛下の即位50年のお祝い、ロックミュージックの50年の歴史のお祝い、そしてフレディがいなくなった今、僕が旗手を務めなければならない、などね。

とてもうれしい事ではあったけれど、とにかく怖かったんだ。

無事に終えた後、みんなも写真で見たかもしれないけど、

僕は天に向かって手をあげ、神に感謝した。

どれだけ準備を万全にしても失敗してしまう可能性はあったからね。

数年前にうつ病のクリニックですごいことを学んだんだ。

安らぎの祈り、というものだ。せっかくだからみんなにも説明するよ。

こう言うんだ。

「神よ、」祈りの対象は神でなくても良いのだけど、神とするとわかりやすい。

「崇高なる存在よ、神よ、

私の力ではどうすることもできない事柄を理解する恩恵をお与えください。

私が変えることがでできる事柄を変える勇気をお与えください。

そしてそれらの違いを理解できる英知をお与えください。」

つまり、恐怖を感じたら、自分ができることだけに集中し、残りは神に委ねる、ということなんだ。

これが宗教なのかはわからないが、とても強力な方法なんだよ。

物事を神に委ねたとたん、重荷が取り除かれ、心配をしなくてよくなるんだ。

あの演奏の30分前、オーケストラと僕の演奏がお互いに聞こえる装置、指揮者を見るためのモニター、どれも機能してなかったんだ。

もう一本ワイヤーを引っ張り上げてこなければならない、それには女王の許可が必要だ、なんて大変だったんだ。

たしか本番の約10分前位になって、すべてが整ったんだ。

オーケストラが見れる大きなモニターと自分のギターの音が聞こえるアンプがそばに設置された。

あの恐怖を乗り越えた後は天国にいるかのような気分だった。歓喜の瞬間だった。

純粋に演奏を楽しみ、自分でできる限りの準備はしてきた、という安心を楽しめた。

みんなも試験が控えてるよね。

パニックになるよね。でもできる限りのことをした後は、神に委ねるしかないんだよ。

なぜなら僕たちにはどうすることもできない事柄もあるのだから。

僕の父はよく、こう言ってくれた。

「できる限りの事しかできないんだ。ベストを尽くせばそれで十分だ」とね。

君の質問の答えになったかな? (会場 笑い)

 

 

宇宙に関するQ&A

(インスピレーション・マーズ財団のチトー氏が地球代表として火星へ行く年配のカップルの募集を発表しました。興味はありますか?)

ブライアン: 年配のカップル?キミ、僕に向かって言ってるわけじゃないよね?

年配のカップルか。

ああ、つまり、行ったっきりで戻ってこない、ってわけだね。完璧だな。(会場爆笑)

僕はこの地球にはやらなければいけない事がとてもたくさんあると思う。

僕は、我々は宇宙へ一体何をしに行っているんだ、と思う。

過去に勇敢で優秀な宇宙飛行士たちが宇宙へ行ったことは素晴らしいことだと思う、

しかし、僕たち一般の人々が宇宙へ行くことははたして正しいことなのだろうか?

自分たちの欲からほかの惑星を汚し、自分勝手に横暴にふるまう事ははたして正しいことなのだろうか?

宇宙全体に侵入して荒らす権利は我々にはないと思う。

僕たちは地球を良くすることに専念するべきだと思う。

だから、僕はここに残り、確実に改善されるように見ていようと思うよ。

 

ピーター・フリーストーンさんが語るフレディ

YouTubeにあがっている約12年間フレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントをされていたフリーストーン氏のインタビューから興味深かった部分、面白かった部分などをメモしておきます。

たくさん彼のインタビューを見てちょこちょこメモしていたのですが、どの動画かタイトルをメモし忘れていたものもあり、とりあえず一部分です。


18:00~

フリーストーン氏: 実際のポール・プレンターは(映画ボヘミアン・ラプソディ)で描かれた通りの人物ではないんだ。
映画の中のポールはフレディにとって最良とは言えなかった2,3人の人物を融合したキャラクターなんだ。

22:55~

(本作の制作に大きく携わられていましたが、なぜあなたは本作に登場していないのですか?)

本作に登場する人物はみなストーリーラインに関わってくる人物だけだ。たとえば、1979年から5,6年は僕は実際には常にフレディのそばにいた。でも本作の物語にはなんの関わりもないんだ。映画では15年を2時間に収めなければいけなかった。僕がいたら単に物語の進行をスローしてしまうだけだったはずだ。僕にとっては(僕が登場していたかどうかなんて)問題じゃない。本作の中に僕の貢献は見れるから。

たとえば最初の頃のフレディの両親とバンドのメンバーが会うシーン。カシミラの「フレディは18歳でロンドンに生まれたの」という台詞はそのまま僕が聞いた1990年代のインタビューからの言葉なんだ。僕にとってはその言葉自体が僕のキャラクターだよ。
撮影が始まる前の6週間は僕はプロダクションデザイン、小道具、ウィッグ、コスチューム、メイクの部署などに協力した。

小道具からの質問の一つは朝、フレディが朝、紅茶を飲んでいたティーカップについてだった。僕は日本のノリタケというメーカーの磁器(ポーセリン)で、白く、金の縁取りがあるものだった、と伝えた。映画の中でフレディが白に金の縁取りが入ったティーカップで紅茶を飲んでいるシーンがある。あれも僕という存在だと感じるよ。また、エンドロールでフレディはゾロアスター教のしきたりにそって火葬された、と出てくるよね。フレディが亡くなった時、20年間世界の人々のものだった彼のお葬式はご両親の希望にそって行ってもらうのことが正しいことだと僕は思い、僕がご両親に希望を聞きに行った。世界中はフレディ・マーキュリーの葬儀を見守る中、家族はファルーク・バルサラの葬儀を行うアレンジを行ったんだ。

多くの人が映画のタイムラインが史実と合わない事をあげているが、完成版を観て、僕は問題には思えなかった。映画を心から楽しみ、時に涙を流し、頭の中では実際の思い出を思い出していた。

 

7:30~

寝たのが朝3時だろうが5時だろうが、フレディは必ず朝9時には起床した。時間を無駄にするのが嫌だったんだ。朝食を食べ、庭に出て猫と遊んでいたよ。

14:42~

フレディが自由に好きなものを買えるようになった時…彼は趣味も良かった。裕福な人の多くは悪趣味だったりするよね。彼は買い物をするとき、いつも周りの人のことも考えていた。

ある日、彼は「コロンがもう無いじゃないか。誰も僕のために買ってきてくれる人はいないのか。誰一人として気にかけてくれないのか」(フレディのマネをしながら)と文句を言いながら2階から降りてきたんだ。コロンは少なくなっていただけなんだけどね。そして「もういい、自分でなんとかする」と運転手と出かけたんだ。

彼はハロッズの袋を2つ持って帰ってきた。袋から「これが僕の」と1つ取り出した。続けて掃除の女性も含め、家の中にいた全員に香水を渡したんだ。それが彼だったんだ。一生懸命働き、みんなが喜んでくれるお金の使い方をしたかったんだ。

41分辺り~ (それまでクイーンが何人のグループなのかも知らなかったフリーストーンさんがクイーンのツアーコスチューム担当の職につき、初めてクイーンのメンバーと対面した時の事。)

フリーストーン氏: オオカミの毛皮のロングコートを着た男が現れたんだ。他の誰よりもロックスターという風貌だった。それは実はビジネスマネージャーのジム・ビーチだった。