ブライアンのインスタの投稿

今日、2時間くらい前のブライアンのインスタの投稿を日本語に訳しました。

 

素晴らしい写真家ランキン氏との有意義なフォトセッションを終え、

片づけをしているところです。

 

そしてはい。お察しの通り、僕はインスタから少し距離をおこうと思いました。

今は積極的にみなさんとインタラクトしたいという気持ちが持てません。

温かい言葉をかけてくれた優しいインスタ仲間のみなさん、ありがとう。気をかけてくれてありがとう。

はい。先週、僕のインスタのページで起きた突然の異常な状況、コメントの嵐にはショックを受けましたし、驚かされました。

そしてこの出来事は僕の様々な物事への感じ方も変えてしまいました。

自分はなぜ、こんなことをしたいのか、

何のためにインスタで  ”発信するのか、

根底から考えさせられました。

私たちは何を求めているのでしょう。

そしてこの出来事は、もうずっと以前から知っているべきであった事を僕に教えました。

私たち皆にとっても覚えておくのが良い事かもしれません。

私たちのフォロワーがみな私たちの友達だと想像するのはひどい間違いだ、という事です。

僕がやり玉にあげられている間、僕を信じ、サポートしてくれたみなさんにもう一度ありがとう。

何か劇的な決断をするつもりはありません。

今もこうしてココにいます。

しかし、以前のような気持ちをインスタグラムに感じることはもうできないでしょう。

信頼は消えてしまいました。

僕はソーシャルメディアで フレンドたちからいじめられ自殺に追い込まれた子供たちの話を見直しました。

僕は身をもって、自分が安全な場所で無防備にリラックスしている状態から

突然の猛攻撃を受ける、という事がどんなことか理解しました。

大丈夫です。同情を求めているわけではありません。

僕は大人ですから対処できます。

ただ、これからはやり方を少し変えていこうと思います。

みなさんも気を付けて。

本当に!

ではまた!

Bri

 

 

このブライアンの投稿の後

去年ネット上でのいじめで自殺未遂をした14歳の女の子が

“子供だけでなく大人だって弱く、ターゲットになることがあるとわかった”

また、”自分と同じような思いをしている子を救うことを目標として生活している”

という内容のコメントしました。

それに対しブライアンが

”もうしばらくはどんなコメントにも返信しないようにしよう、と思っていたけれど、君のコメントですでに気持ちが変わりました。君はとても若いのに、非常につらい思いを乗り越えてきたのですね。君のコメントで僕も謙虚な気持ちなりました。ただ、関心や見る目的が違う世界中の人々が見ることがソーシャルメディアでは人は攻撃を受けやすいという事を忘れないでね。”

という内容の返信していました。

—–

ブライアン・シンガー監督にかけられている疑惑は別問題として、無罪の推定という当たり前の事をブライアンが言っただけで猛攻撃を受け、謝罪をするにあたった経緯を見ていてブライアンのファンとしてかなり驚きました。

ちなみに日本ではブライアンのコメントは冷静で事実を述べている、という内容の感想が多かったようで安心しました。

問題とされたインスタでのコメント:

正しい事も大多数の意見が間違えと見なされる。まるでポピュリズムに支配されつつある世界の縮図のようにすら感じてしまいました。

ブライアンの謝罪は実に真摯であり、自分のコメントで傷つけてしまった人々へ心からのものでした。

直後、”謝ってくれて良かった”、”誰でも間違えは犯すから大丈夫” という内容のコメントがとても多く見受けられ、どれだけ正論が通じないインスタ世界なのだろう、と感じました。

謝罪を求めた人々、シンガー監督をブライアンが擁護していると捉えて “ブライアンにはとても失望した”、という内容のコメントを寄せていた人々の多くは、最近ファンになったと思われる海外の子達のようでした。

今の若い世代のクイーンブームを巻き起こし、楽しい記事や情報を次々と発掘、発信している若い子達。私もクイーンの情報などの恩恵を受け、楽しませてもらってきましたが、若いゆえの知識不足や短絡的な考えにより、こういった事も起こりえるのですね。

この出来事はブライアンの心の中にあったファンとの連帯感みたいなものを壊してしまったかも、と感じていました。

まとまりがなく、夜遅くで打ち間違えも多い文章なってしまいましたが、この件に関しては思うところがあり、投稿として残しました。

 

 

”完璧はギリギリで避けよう” ブライアン・メイ インタビュー訳

心に残った部分を少し訳しました。

(音楽以外の分野でもご活躍されお忙しいと思いますが、コンサートに向けての準備や練習はどのようにしてますか?)

16:23

ブライアン・メイ: コンサートでの曲目のリストを覚えるのはだいたい問題ない。

でも若い頃、試験に向けてきちんと覚えた部分はあっても、試験前日の夜にも詰め込み勉強をしたように、復習をする部分があるよ。

打ち明けてしまうとね、

数えきれないほど演奏してきた ”Somebody to Love” のソロの部分だって間違えたキーから始めてしまったら終わりだよね。だからステージに出る前にギターを抱えておさらいすんだ。(17:14 おさらいする真似をするブライアン✨)

中略

ギターを弾く上で、失敗は受け入れなくてはいけないと思う。

中略

そしてツアーでライブの前の練習がとても上手くいってる時も僕たちは ”完璧はギリギリで避けよう”、と言うんだ。

完璧を目指し、完璧に執着するのは一種の病気のようであり、また完璧にできているとしたら、何かがおかしいと思う。退屈だし、自分自身がチャレンジしてないということになると思う。

ミスをしないとしたら、僕が目指すプレイヤーに僕自身はなれていないと思うんだ。

レコードと同じ演奏をするのは大嫌いだ。リスクをもろともしない演奏をしたいね。

ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー インタビューなどメモ

 

ロジャーとジョン2人だけが出演した番組で、司会者がどのようにバンドが結成されたかをジョンに質問。

ジョン: 僕が入った時にはすでにクイーンというバンドは結成されていたんだ。だからその質問に答えるのにはふさわしくないよ。

ロジャー: どうやら僕が答えるしかないようだね。

((2人しか出演してないからロジャーが答えるのは当たり前なのにそんなロジャーの対応にウケて笑いながらロジャーの肩に手をやるジョン))

ロジャー: (バンドの結成までの話 省略)

で、僕らのバンドにはベーシストがいなかった。6人くらい試したけど、彼らは演奏ができると性格が悪かったり、性格が良いと演奏ができなかったりで、僕らにぴったりの人はいなかった。最後にようやく僕らはコレを見つけたんだ (ジョンを指差す)。

ジョン: え、つまり…

(コレ呼ばわりされたけど、気にならないくらい嬉しそうなジョン)

司会: あなたは性格も良く、演奏も素晴らしかった、というわけですね

ロジャー: ぴったりだった、というわけさ。

 

2019/2/27 追加

 

司会: アカデミー賞授賞式でのオープニングでの演奏、どんな感じだったのでしょうか。緊張しましたか?

ロジャー: 素晴らしかったよ。自分の池から飛び出して泳いでいるようだった。アカデミー賞授賞式のオープニングをやるなんて考えてもみないことだったよね。正直に言うよ。緊張しなかったね。アダムは(超高級)ジャケットのせいで緊張していたみたいだけど(笑)。いや、僕たちは何度も一緒に仕事してるから大丈夫だったよ。

司会: 素敵なラブストーリーでもありますよね。ラミはフレディと恋に落ちるメアリーを演じたルーシーと恋に落ちたわけですから。

ロジャー: その点に誰かが気づいてくれるかと思っていたけど、君がそれを指摘してくれた最初の人だよ。

司会: クイーンのファンとしてはラミは完全にフレディになりきっていたと思いましたが、親友でもあったあなたから見てどうでしたか?

ロジャー: 彼は精神面でとてもフレディに近づいていたと思うね。瞳の中にはフレディの精神が宿っていたよ。体格などフィジカルな面では違ったけど、フレディを熱演してくれた。映画の魔法を考慮しない批評もあったけれど、

司会: もっと荒々しくダークな物語であるべきだった、という批評をよく見かけました。私はなぜ暗さが望まれるのか、なぜ素晴らしい人物を讃えるだけではいけないのか理解できませんでした。

ロジャー: 僕は心の響き、元気がでるような作品になって欲しいと思っていたよ。観客もそう感じてくれた事を願う。僕らは別に何かを隠そうとか、尻込みしていたわけじゃないよ。

 

オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話

オックスフォード・ユニオンでのブライアン・メイ博士のお話。

メインの講演は結核菌を持ったアナグマが牛の全体の結核を引き起こす要因であると科学的に証明されていないのにも関わらず、アナグマをランダムに殺すことがいかにおかしいことであるか、また牛の結核予防には予防接種をすべきである、というような内容のお話でした。

それはそれで興味深く、勉強になりました。

ここではQ&Aで心に残ったブライアンの答えをご紹介します。

Queenに関するQ&A。

(あなたのキャリアの中で一番誇りに思う出来事は?)

ブライアン: いくつもあるけれど、おそらくバッキンガム宮殿の屋上で演奏したことかな。

よくみんなに 怖かったか、と聞かれる。

たしかに怖かったよ。

屋根から落ちると思ったかといったら

それはなかった。落ちるとは思わなかったよ。

けど、もし、しくじったらバッキンガム宮殿の屋根から飛び降りようかとは思った。

(会場 笑い)

僕にとってあの演奏は冒険であり、挑戦であり、人生を変えるものだった。

とてつもない恐怖を乗り越え、平静さを保たなければならなかった。

僕があの演奏をしたのにはいくつかの意味が含まれていた。

女王陛下の即位50年のお祝い、ロックミュージックの50年の歴史のお祝い、そしてフレディがいなくなった今、僕が旗手を務めなければならない、などね。

とてもうれしい事ではあったけれど、とにかく怖かったんだ。

無事に終えた後、みんなも写真で見たかもしれないけど、

僕は天に向かって手をあげ、神に感謝した。

どれだけ準備を万全にしても失敗してしまう可能性はあったからね。

数年前にうつ病のクリニックですごいことを学んだんだ。

安らぎの祈り、というものだ。せっかくだからみんなにも説明するよ。

こう言うんだ。

「神よ、」祈りの対象は神でなくても良いのだけど、神とするとわかりやすい。

「崇高なる存在よ、神よ、

私の力ではどうすることもできない事柄を理解する恩恵をお与えください。

私が変えることがでできる事柄を変える勇気をお与えください。

そしてそれらの違いを理解できる英知をお与えください。」

つまり、恐怖を感じたら、自分ができることだけに集中し、残りは神に委ねる、ということなんだ。

これが宗教なのかはわからないが、とても強力な方法なんだよ。

物事を神に委ねたとたん、重荷が取り除かれ、心配をしなくてよくなるんだ。

あの演奏の30分前、オーケストラと僕の演奏がお互いに聞こえる装置、指揮者を見るためのモニター、どれも機能してなかったんだ。

もう一本ワイヤーを引っ張り上げてこなければならない、それには女王の許可が必要だ、なんて大変だったんだ。

たしか本番の約10分前位になって、すべてが整ったんだ。

オーケストラが見れる大きなモニターと自分のギターの音が聞こえるアンプがそばに設置された。

あの恐怖を乗り越えた後は天国にいるかのような気分だった。歓喜の瞬間だった。

純粋に演奏を楽しみ、自分でできる限りの準備はしてきた、という安心を楽しめた。

みんなも試験が控えてるよね。

パニックになるよね。でもできる限りのことをした後は、神に委ねるしかないんだよ。

なぜなら僕たちにはどうすることもできない事柄もあるのだから。

僕の父はよく、こう言ってくれた。

「できる限りの事しかできないんだ。ベストを尽くせばそれで十分だ」とね。

君の質問の答えになったかな? (会場 笑い)

 

 

宇宙に関するQ&A

(インスピレーション・マーズ財団のチトー氏が地球代表として火星へ行く年配のカップルの募集を発表しました。興味はありますか?)

ブライアン: 年配のカップル?キミ、僕に向かって言ってるわけじゃないよね?

年配のカップルか。

ああ、つまり、行ったっきりで戻ってこない、ってわけだね。完璧だな。(会場爆笑)

僕はこの地球にはやらなければいけない事がとてもたくさんあると思う。

僕は、我々は宇宙へ一体何をしに行っているんだ、と思う。

過去に勇敢で優秀な宇宙飛行士たちが宇宙へ行ったことは素晴らしいことだと思う、

しかし、僕たち一般の人々が宇宙へ行くことははたして正しいことなのだろうか?

自分たちの欲からほかの惑星を汚し、自分勝手に横暴にふるまう事ははたして正しいことなのだろうか?

宇宙全体に侵入して荒らす権利は我々にはないと思う。

僕たちは地球を良くすることに専念するべきだと思う。

だから、僕はここに残り、確実に改善されるように見ていようと思うよ。

 

ピーター・フリーストーンさんが語るフレディ

YouTubeにあがっている約12年間フレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントをされていたフリーストーン氏のインタビューから興味深かった部分、面白かった部分などをメモしておきます。

たくさん彼のインタビューを見てちょこちょこメモしていたのですが、どの動画かタイトルをメモし忘れていたものもあり、とりあえず一部分です。


18:00~

フリーストーン氏: 実際のポール・プレンターは(映画ボヘミアン・ラプソディ)で描かれた通りの人物ではないんだ。
映画の中のポールはフレディにとって最良とは言えなかった2,3人の人物を融合したキャラクターなんだ。

22:55~

(本作の制作に大きく携わられていましたが、なぜあなたは本作に登場していないのですか?)

本作に登場する人物はみなストーリーラインに関わってくる人物だけだ。たとえば、1979年から5,6年は僕は実際には常にフレディのそばにいた。でも本作の物語にはなんの関わりもないんだ。映画では15年を2時間に収めなければいけなかった。僕がいたら単に物語の進行をスローしてしまうだけだったはずだ。僕にとっては(僕が登場していたかどうかなんて)問題じゃない。本作の中に僕の貢献は見れるから。

たとえば最初の頃のフレディの両親とバンドのメンバーが会うシーン。カシミラの「フレディは18歳でロンドンに生まれたの」という台詞はそのまま僕が聞いた1990年代のインタビューからの言葉なんだ。僕にとってはその言葉自体が僕のキャラクターだよ。
撮影が始まる前の6週間は僕はプロダクションデザイン、小道具、ウィッグ、コスチューム、メイクの部署などに協力した。

小道具からの質問の一つは朝、フレディが朝、紅茶を飲んでいたティーカップについてだった。僕は日本のノリタケというメーカーの磁器(ポーセリン)で、白く、金の縁取りがあるものだった、と伝えた。映画の中でフレディが白に金の縁取りが入ったティーカップで紅茶を飲んでいるシーンがある。あれも僕という存在だと感じるよ。また、エンドロールでフレディはゾロアスター教のしきたりにそって火葬された、と出てくるよね。フレディが亡くなった時、20年間世界の人々のものだった彼のお葬式はご両親の希望にそって行ってもらうのことが正しいことだと僕は思い、僕がご両親に希望を聞きに行った。世界中はフレディ・マーキュリーの葬儀を見守る中、家族はファルーク・バルサラの葬儀を行うアレンジを行ったんだ。

多くの人が映画のタイムラインが史実と合わない事をあげているが、完成版を観て、僕は問題には思えなかった。映画を心から楽しみ、時に涙を流し、頭の中では実際の思い出を思い出していた。

 

7:30~

寝たのが朝3時だろうが5時だろうが、フレディは必ず朝9時には起床した。時間を無駄にするのが嫌だったんだ。朝食を食べ、庭に出て猫と遊んでいたよ。

14:42~

フレディが自由に好きなものを買えるようになった時…彼は趣味も良かった。裕福な人の多くは悪趣味だったりするよね。彼は買い物をするとき、いつも周りの人のことも考えていた。

ある日、彼は「コロンがもう無いじゃないか。誰も僕のために買ってきてくれる人はいないのか。誰一人として気にかけてくれないのか」(フレディのマネをしながら)と文句を言いながら2階から降りてきたんだ。コロンは少なくなっていただけなんだけどね。そして「もういい、自分でなんとかする」と運転手と出かけたんだ。

彼はハロッズの袋を2つ持って帰ってきた。袋から「これが僕の」と1つ取り出した。続けて掃除の女性も含め、家の中にいた全員に香水を渡したんだ。それが彼だったんだ。一生懸命働き、みんなが喜んでくれるお金の使い方をしたかったんだ。

41分辺り~ (それまでクイーンが何人のグループなのかも知らなかったフリーストーンさんがクイーンのツアーコスチューム担当の職につき、初めてクイーンのメンバーと対面した時の事。)

フリーストーン氏: オオカミの毛皮のロングコートを着た男が現れたんだ。他の誰よりもロックスターという風貌だった。それは実はビジネスマネージャーのジム・ビーチだった。

 

ブライアン・シンガー監督作品としての『ボヘミアン・ラプソディ』

祝!

『ボヘミアン・ラプソディ』がゴールデン・グローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞!!

ラミ・マレックが同作にて映画の部ドラマ部門主演男優賞を受賞しました!!

授賞式に撮影途中で降板となったとはいえ、ブライアン・シンガー監督が不在なのは本作を愛する方なら気になる点だと思います。

軽く検索しても詳しい情報はなかったので、

2週間前くらいだったか、観てた動画で聞いたお話を説明をご紹介します。

『ボヘミアン・ラプソディ』撮影中、アドバイザーとしてずっと参加されていたフレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントだったピーター・フリーストーン氏のお話です。

わかりやすく説明してくださっています。

もしかすると、他にも降板の理由はあるのかもしれませんが、フリーストーンさんがそう説明してくださるのなら、そのまま受け入れれば良いと私は思いました。

 

会場の質問者:本作では監督の変更がありました。大きな違いなどありましたか?

フリーストーン氏: いいや。どう言ったらよいだろう。完成版にはブライアン・シンガー監督作品と表記があることになるだろう。

本作の85%はブライアン・シンガーが監督した。

あれは、感謝祭の頃だったね。彼の母親は具合が悪かった。彼は「80代の母と共に過ごす時間があとどれ位あるのかわからない。母が具合が悪いのなら、自分は会いに行く」と言っていた。彼はスタジオにも家族と過ごすための時間をもらえるようにお願いをしていた。しかし、スタジオ側は不満だった。彼がアメリカから戻ってこなかったのをうけ、スタジオ側も、もう戻ってこなくていい、と言ったんだ。

 

こういう事情で15%はデクスター・フレッチャーが監督した。彼はブライアン・シンガーが監督となる前から考えられていた人物なんだ。だから、デクスター自身も本作に対する彼なりのイメージはあったわけだ。

デクスターは残されたシーンのみを撮った。再撮影はしなかった。残っていた約15日間くらいの撮影部分のみだ。

2月にブライアン・シンガーがフレディについて教えてほしいと僕に連絡をくれ、最初の会合は8月4日プラハのホテルで行われた。夜中の2時まで質問と答えを繰り返した。彼は「まだまだ知りたいことばかりだ、明日一緒にロンドンに来てあと3,4日だけフレディについて教えて欲しい」と言ってきた。

あと数日という予定はのびて、12月の15日まで僕は撮影に参加し、毎日、シンガー監督はフレディについてたくさんの質問をしてきた。

彼は可能な限り、本物に近いフレディを描こうとしていたんだ。