ピーター・フリーストーンさんが語るフレディ

YouTubeにあがっている約12年間フレディ・マーキュリーのパーソナルアシスタントをされていたフリーストーン氏のインタビューから興味深かった部分、面白かった部分などをメモしておきます。

たくさん彼のインタビューを見てちょこちょこメモしていたのですが、どの動画かタイトルをメモし忘れていたものもあり、とりあえず一部分です。


18:00~

フリーストーン氏: 実際のポール・プレンターは(映画ボヘミアン・ラプソディ)で描かれた通りの人物ではないんだ。
映画の中のポールはフレディにとって最良とは言えなかった2,3人の人物を融合したキャラクターなんだ。

22:55~

(本作の制作に大きく携わられていましたが、なぜあなたは本作に登場していないのですか?)

本作に登場する人物はみなストーリーラインに関わってくる人物だけだ。たとえば、1979年から5,6年は僕は実際には常にフレディのそばにいた。でも本作の物語にはなんの関わりもないんだ。映画では15年を2時間に収めなければいけなかった。僕がいたら単に物語の進行をスローしてしまうだけだったはずだ。僕にとっては(僕が登場していたかどうかなんて)問題じゃない。本作の中に僕の貢献は見れるから。

たとえば最初の頃のフレディの両親とバンドのメンバーが会うシーン。カシミラの「フレディは18歳でロンドンに生まれたの」という台詞はそのまま僕が聞いた1990年代のインタビューからの言葉なんだ。僕にとってはその言葉自体が僕のキャラクターだよ。
撮影が始まる前の6週間は僕はプロダクションデザイン、小道具、ウィッグ、コスチューム、メイクの部署などに協力した。

小道具からの質問の一つは朝、フレディが朝、紅茶を飲んでいたティーカップについてだった。僕は日本のノリタケというメーカーの磁器(ポーセリン)で、白く、金の縁取りがあるものだった、と伝えた。映画の中でフレディが白に金の縁取りが入ったティーカップで紅茶を飲んでいるシーンがある。あれも僕という存在だと感じるよ。また、エンドロールでフレディはゾロアスター教のしきたりにそって火葬された、と出てくるよね。フレディが亡くなった時、20年間世界の人々のものだった彼のお葬式はご両親の希望にそって行ってもらうのことが正しいことだと僕は思い、僕がご両親に希望を聞きに行った。世界中はフレディ・マーキュリーの葬儀を見守る中、家族はファルーク・バルサラの葬儀を行うアレンジを行ったんだ。

多くの人が映画のタイムラインが史実と合わない事をあげているが、完成版を観て、僕は問題には思えなかった。映画を心から楽しみ、時に涙を流し、頭の中では実際の思い出を思い出していた。

 

7:30~

寝たのが朝3時だろうが5時だろうが、フレディは必ず朝9時には起床した。時間を無駄にするのが嫌だったんだ。朝食を食べ、庭に出て猫と遊んでいたよ。

14:42~

フレディが自由に好きなものを買えるようになった時…彼は趣味も良かった。裕福な人の多くは悪趣味だったりするよね。彼は買い物をするとき、いつも周りの人のことも考えていた。

ある日、彼は「コロンがもう無いじゃないか。誰も僕のために買ってきてくれる人はいないのか。誰一人として気にかけてくれないのか」(フレディのマネをしながら)と文句を言いながら2階から降りてきたんだ。コロンは少なくなっていただけなんだけどね。そして「もういい、自分でなんとかする」と運転手と出かけたんだ。

彼はハロッズの袋を2つ持って帰ってきた。袋から「これが僕の」と1つ取り出した。続けて掃除の女性も含め、家の中にいた全員に香水を渡したんだ。それが彼だったんだ。一生懸命働き、みんなが喜んでくれるお金の使い方をしたかったんだ。

41分辺り~ (それまでクイーンが何人のグループなのかも知らなかったフリーストーンさんがクイーンのツアーコスチューム担当の職につき、初めてクイーンのメンバーと対面した時の事。)

フリーストーン氏: オオカミの毛皮のロングコートを着た男が現れたんだ。他の誰よりもロックスターという風貌だった。それは実はビジネスマネージャーのジム・ビーチだった。

 

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