フレディが変えた世界。ブライアンとロジャーのインタビュー訳

ずっーと前から訳したいと思っていたインタビューです。

思うところがあって今日、合間に訳しました。

ロジャーが「何があっても彼に味方する。もう彼は自分をかばえないんだから」と言ったテレビ番組でのインタビューの後半部分です。

(前半部分は訳されている方がいらっしゃったようですので)

なかなか自分の納得できる言葉になっていない部分もあるのですが、能力不足です。ごめんなさい。先に謝っておきます。

8:10あたりからです。

(フレディの死がテレビや新聞などのセンセーショナルな追悼文だけで終わるとしたら残念すぎますよね。何かもっとあるべきですよね。)

ブライアン: もっともっとある。たくさん伝えるべき事もある。ここ数日で世界中からたくさんの愛が注がれているのを感じている。 フレディは世界を変えたし、彼の死も世界を変え始めたと思う。

まずこのボヘミアン・ラプソディのレコードは彼を追悼し、再リリースされる。全ての収益金はエイズのチャリティに寄付される。

ロジャー: このレコードは両A面で、もう一つの曲は (These are the) Days of Our Livesで僕たちが作った最後のミュージックビデオで、歌詞にも良い繋がりがあると思う。

(Show Must Go On という曲もありますが、やはり意図的にそういう意味が含まれていたのでしょうか?)

ブライアン: 振り返ると、ここ数年そう思える曲は多くあると思う。でも1つだけでなく、様々な意味合いが含まれてもいるんだ。

(彼が世界を変えた、というのは大げさでは、という人々もいると思いますが、どう答えますか?)

ブライアン: 1つの例を挙げれば、彼の存在がゲイである人々への人々の接し方を変えたという事だと思う。僕は本当にそうあって欲しいと思う。

彼の個人的な事だったから僕らにとっては今までは少し話題にしにくいことだった。

彼は強く、ものすごく才能があり、考えられるどんな面においても素晴らしく、そして彼はゲイである事もかなりオープンにはしていた。彼はゲイの人々への人々の考え方を変えたと思うよ。

それにもういい加減、時代は変わるべきだよね。

昨日新聞に ”誰々がゲイであることを認めた”、と書かれてるのを目にしたけれど、認めた、という表現をすること自体が中傷という罪を犯しているわけで、そんな事が何事もなかったかのように許させるのはおかしい。

僕たちはもう支援に回れるようになった。ゲイのためのヘテロ(同性愛者をサポートする異性愛者の意)とでも、何とでも呼ぶといいさ。

(バンドの仲間として、このような機会を何かポジティブな事に変換したいと思いませんか?)

ブライアン: たくさんのポジティブな事が起こっているよ。

ロジャー: 全くもってそれがフレディが望んだ事なんだよ。フレディは残された時間に自らの事を公表することがポジティブな何かに繋がる事を望んだんだ。僕たちもその意志を受け継いでいこうとしている。来年、彼の名前の元、何か大きなイベントを開催して多くの寄付を集めようと思っているんだ。

(リードヴォーカルにフレディなしのクイーンのパフォーマンスとなるわけですか?)

まあそうなるだろうね。

(どういう風にされるのですか?)

ブライアン: 詳しく考えてはないよ。僕たちはまだ悲しみの第1段階も乗り越えてないよ、想像できると思うけど。当面は今後の活動については棚上げして、今やらなければならない事をやろうと決めたんだ。

フレディは素晴らしいプラットフォームを残してくれたから、それを使ってエイズの基金を集められると考えている。多くの人にエイズを知ってもらうための啓蒙活動もできると思っている。今もこうして行っているようにね。

みんなへ。1995年ディーキーからのファンクラブメンバーへの手紙

1995年3月9日にジョン・ディーコンがオフィシャル・インターナショナル・クイーン・ファンクラブの会報のために寄せた手紙をtwitterで見ました。他の手紙は見たことがありましたが、この手紙は初めて見ました。きっととっくに全訳も出てるのだろうと思いますが、自分でも訳したい衝動に駆られたので。

みんなへ

みんなが元気なこと、そして1995年がみんなに優しくしてくれてる事を願っています。Queenのレコーディングやミキシングは順調に進行中です。今年中に完成したものをリリースできれば、と思ってます。完成版に対しては、みんなからもさまざまな感想や意見がでてくるのではないかと思います。

ロジャー、ブライアン、そして僕自身にとってもなかなか簡単な作業とはなっていません。僕たちの中でも意見が違い、合意するまでに時間もかかってしまうのです。

とはいえ、ベストを尽くします。ベストを尽くす事が僕たちにできる最善のことだから。

Queen最後のアルバムがリリースされて良かった、意味があるものだった、と感じてもらえることを願っています。

ではまた

ジョン・リチャード・ディーコン

ブライアン・メイQ&A (2001年Queenコンベンション)

2001年のQueen コンベンションで会場から寄せられた質問とブライアン・メイの答えの中から個人的に興味深かった部分を抜粋て訳しました。

(フレディがいない中でのグレイテスト・ヒッツⅢを制作はどうでしたか?)1:35

心の中で綱渡りをしているようだった。僕らはみんな何度か(綱渡りの)ロープからも落ちてしまったと思う。グレイテスト・ヒッツⅢを制作中、何度も何度もフレディの声を聴くのはとても辛かった。形になり始まると大きな喜びもあった。スタジオでみんなでレコーディングしたかのように感じることもあった。実際には収録された曲はどれも一緒にレコーディングしたものではなく、ある瞬間瞬間をとらえたものを集めたものだ。

人々が過去の遺物の寄せ集めだと思わずに笑顔になり、楽しむことができる作品となってくれたことがとても嬉しいよ。僕ら自身は過去の遺物ではあるんだけどね。誇りに思える出来のとても好きなアルバムになった。

トラック13はお気に入りだよ。やったことのない試みだったから。フレディも気に入ってくれてたんじゃないかな。彼の声も何か所かに入っているからね。まあ、難しいプロジェクトではあったよ。

僕は自分の2つ目のソロアルバムの制作にとりかかるつもりだったが、結局約2年半、グレイテスト・ヒッツⅢにかかった。その後に再開したソロアルバムの内容にも影響し、当初考えていた内容より大きく変わったものに仕上がった思う。とはいえ、そう変わる運命だったんだろうね。

(もしフレディがが今も健在だったとしたら、クイーンの音楽はどんな方向へいっていたでしょう?)8:52

ブライアン:なんて難しい質問なんだ。まず、フレディが今もここにいたらクイーンは今も活動を続けていただろうね。どんなに困難があってもクイーンとして活動するという事は価値がある事だからね。ソロの活動もしてるだろうけど、時々集まってクイーンとしても活動していたのは絶対だね。どんな方向に向かっていったか、は全く想像がつかないね。クイーンはまっすぐに一つの道に向かうことはなかったから。同じことを繰り返さなかった事は誇りに思ってるくらいさ。

変わった新しい事を試していただろうと思うよ。僕たちは世界が僕たちに望んでいるのかをわかってはいたけど、望まれてる形にはなりたくなかったんだ。きっと流行の音楽とは一線を画す面白いものを作っていたと思うよ。

(私と結婚してくれませんか?)13:00

ブライアン:慎重に答えなければならないね。こんな質問をもらえるなんてありがたいね。心の底からお礼を言うよ。でも、本当の僕を知っていたら、僕と結婚したいなんて思わないかもしれないよ。離婚歴あり。どうなるだろうね。

(クイーンのメンバーとして活動するより、ソロで活動する方が満足感や喜びが大きいですか?)15:22

ブライアン:良い質問ばかりだね。自分のやりたいことをやれるのは楽しいし、夢のようにありがたいことだ。

でも、ジョン・レノンが言っていたように、部屋を見まわし、そこにみんながいてくれたら、と思う事があるよ。バランスが重要だよね。今もクイーンが活動を続けていて、自分がそういうバランスをとれていたらよかった。僕たちはお互いが作用しあい素晴らしいものを作り上げていた。それが恋しい。それが恋しいととてもよく考えてる事を認めるよ。ソロ活動も良いけれど、他の3人とともにスタジオに入って行けてたら最高だったろうな。ソロでもクイーンでも素晴らしい経験をさせてもらった。

(ツアーに必ず持っていくものはありますか?)22:35

昔はあったけど、今はないよ。子供っぽかったんじゃないかな。今は現地の食べ物を楽しもうと思っている。以前は子供たちもHPのベイクドビーンズやトマトスープなんて持って行ってたけど、今は行った先の食べ物を食べるね。ツアーの時は1つのスーツケースにもしもの時のための薬やビスケット、チョコレートとかを持って行っていたよ。人生は新しい体験のためにある。オープンでいないと新しい体験はできないよね。ひとつだけ必ず持って行くものがある。片頭痛の薬。

(できなかった事で後悔していることは?)25:24

オリジナルに欠ける答えを言うこともできるね。アルベルト・アインシュタインの答えを知ってる? アインシュタインは「あなたは輝かしい功績を残されていますが、何か後悔していることはあるますか?」と聞かれ、「1人の女性と生涯を添い遂げたかった」と答えたんだ。僕もそうできたらよかったと思う。人生が崩れていくような事を経験せずに済んだだろうし、そのことを誇りにも思えていたんじゃないかな。
後悔している事か…そうだな、20代のうちに自分の恐れと対峙していたら良かったと思うね。最悪の状況を潜り抜けた今、より良い人間になれたと感じる。もっと早く恐れと向き合えていたらいろいろなこと、人間関係とか、もっとうまくいっていただろうと思うね。とは言っても、これも運命だよね。今はここに辿り着いたことをありがたく思う。

(あなたの作った曲の中で、あなた自身を最も表している曲は?)26:55

答えられないね。なぜならどの曲も当てはまるから。曲を作るにあたって、僕は常にありのままの気持ちを表してきたんだ。時にはあまりにも率直になりすぎたこともあった。だからどの曲にも僕自身が大きくと投影されている部分がある。曲によって度合いが違うけれど、常に自分自身を投じてきた。

(ロジャーが3人でまたレコーディングすることがあるかもしれない、とほのめかしていたようですが、あり得るのでしょうか?)41:01

あり得ることだと思うよ。いつ、どこで、確実にありえるのかどうかはわからないけれど。できたらいいな、とは思う。みんなもそう思うかな?

 

<おまけ>

今日3月9日にちなみ、スターマス フェスティバルという天文学、宇宙探査、音楽、芸術などを祝うイベントで披露された ‘39。

ブライアンによる曲紹介の日本語訳を。

 

ブライアン: この曲は1976年頃僕が書いた曲で、当時僕は人類が宇宙へ進出し、ひろがっていくことはよいアイデアだと思っていました。今は、この地球で人間が行ってきた酷いことを思うと自信は持てません。この曲は宇宙船についての曲で、ここにきているみなさんにはアインシュタインの一般相対性理論における時間の遅れについてご説明する必要はないですよね?

(会場から必要とする声)

え、必要なの?

大まかにいうと、光の速さに近いスピードで宇宙へ長旅をすると距離にはひずみが生まれ、さらには自分と地球にいる人々の間で流れる時間が変わってしまうわけです。なので、僕たち宇宙飛行士が新たな天地を求め、光の速さに近い速さで宇宙へ行ったとすると、戻ってきた時には、自分たちには1年位しか感じられなくても。地球では100年が過ぎてしまっているということがあり得るのです。僕は戻ってきたときに、タイムトラベルをしたかのように愛する人々がすでにいなくなっていたとしたら、どんな気持ちになるのだろう、と思いました。この曲を聴きながら、そんな事に思いをはせていただけたらと思います。

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「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」

 

フレディ・マーキュリーがご家族と住んでいた家のブルー・プラーク除幕式でのブライアン・メイのスピーチの日本語訳です。ブライアンがこの家を訪れた時のフレディとのやりとりが面白いです。

ブライアン・メイ: 皆さんお集りいただきましてありがとうございます。ここ立つことを光栄に思います。
なんだか不思議な気持ちです。

フレディと僕の出会いは約50年前にさかのぼります。
ここで彼のお父さんやお母さんとお会いしました。
この場所にこのように友人を追慕し、銘板を掲げることになるなんて僕たちには想像することもできませんでした。
喜ばしい機会ではありますが、寂しくもあります。なぜならフレディは今もここにいて、創作しているはずだったからです。

フレディとの出会いはロジャーと僕たちが組んでいたバンド スマイルのヴォーカルのティムを通してでした。僕らはフレディがグラフィックデザインを学んでいたイーリング・テック(Ealing Technical College and School of Art) で出会いました。フレディは当時ジミー・ヘンドリックスなどの絵ばかりを描いていたものです。

この家に訪れて来た時の事をよく覚えています。彼のダンセット社のレコードプレーヤーが置かれた小さなリビングルームに通されました。オートチェンジャーがついたプレーヤーで魅力的な音を奏でるものでした。

フレディがレコードをかける姿を鮮明に覚えています。たぶんジミー・ヘンドリックスの “Axis: Bold As Love” だったと思います。

彼は興奮気味に「ブライアン、ブライアン、ブライアン、これを聴いてよ!」と言いました。僕は「わかるよ、ジミー・ヘンドリックスだろう? 彼は最高だよな。僕たちも大好きさ。」と。すると彼は「違う違う違う、よく聴いて、どうやって構成されてるか。このギターの音がここからきて、で、こっちから、そしてあっちから聞こえるんだ。動き回ってるんだよ!僕らはこういう事をやらなきゃいけないよね!僕らはこれをやろう!」と言ったのです。

僕は「えっ!?」と驚きました。彼は「そうさ、僕らはグループを作るんだ!」と続けました。その時、僕は心の中で 「君は歌えるの??」 と思いました。

僕たちはとてもとても初期段階のステージ上を走り回る表現力豊かなフレディしか見たことがありませんでした。カッコよくきめていましたが、あまり歌は歌っていませんでした。歌ってもハイテンションで叫んでるような感じでした。彼がのちに素晴らしく、輝かしい、そして見事にしっかりとしたパフォーマー、フレディ・マーキュリーになるなんて誰も想像できなかったことでしょう。

その後の話はみなさんもご存じの通り。僕たちボーイズは、フレディ、僕、ロジャー、ジョンで世界を征服したわけです。夢にも見なかった事でした。僕たちは人々の人生の一部となりました。それが今日この場につながります。
時々、朝起きて ”いったいどうやってあんなことが起こったのだろう” と思います。

まだ言っていないことがありました。フレディも僕もここフェルトンで育ちなんです。僕はここから300ヤードほど先に住んでいました。でもイーリング・テックでティムに紹介されるまでお互いを知らずに育ちました。
フレディがどんなだったか、短い言葉でまとめることは難しいです。
彼はシャイな男子でした。

出会った頃は ”大人な” 僕らとは違い彼は実家に住んでいることを恥ずかしがっていたようでした。なので、彼はよく友達の所に転がり込んでは床で寝ていたものです。

先ほど僕はちゃかして説明してしまいましたが、フレディははじめから観客とつながり、みんなをワクワクさせる事ができるとても類まれなる才能を持っていました。ですからでグループを結成する、と決めた時も僕たちは彼が特別な人間だという事はわかっていました。

彼は人々に自分たちもできる、と思わせることができる人間だったと僕は思います。1986年ウェンブリースタジアムにいた男も女もフレディが彼ら自身の象徴であり、彼らの夢の代表であり、一生懸命に取り組めばどんな夢でも叶うと感じました。

フレディは彼の芸術に向けて100万パーセント一生懸命でした。彼は音楽を愛し、ミュージシャンとしての彼自身を作る事も大好きでした。彼は全世界とつながっていました。

このブルー・プラークを掲げられる事をとても喜ばしく思います。彼の素晴らしい妹、カシミラさんをご紹介します。

カシミラさん:みなさん、こんにちは。今日ここにこうして私の兄フレディのためのブルー・プラークを披露できる事をとても嬉しく、また誇りに思います。


フレディとの最初の出会いを以下のインタビューでも聞くことができます。

2:16~

ブライアン:フレディと一番最初に出会ったのは彼が僕たちのギグに来た時だ。コンサートとは呼ばないものだったね。僕たちは大学の食堂や小さなクラブ、バーなんかで演奏していたんだ。誰も本気では聴いてなくて、僕らも好きに演奏してた。

そこへフレディはやってきた。彼は「君たちってすごい。最高だ!最高!ほんとに素晴らしい!でもね、こうやったらいいよ、ああやったらいいよ、もっとショーらしく、ドラマティックに、サウンドはこう、さらにこう照明を使って…」と言ってきたんだ。僕らは「わかった、フレディ。」それから ”誰この人?” とお互いの顔を見合わせた。(笑)で、「キミは何者?」と聞くと「僕は歌手さ、ダーリン」と言ってきた。僕らは「あー、本当。わかった、わかった」って対応だったのだけど、何度もギグに来るんだよね。そのうち僕らのバンドはあまりうまくいかず、リードシンガーは世界的に有名になった(皮肉たっぷりに)ハンピーボングというバンドに引き抜かれてしまったんだ。彼は大物になるために出て行ったけど、残された僕たちはどうすればいいんだ、と困っているところにフレディが「僕がキミたちのために歌ってあげるさ」と言ってきたんだ。

それで僕たちは練習を始めたわけなんだけど、第一印象は「Oh my God…」(やばい…)だったね。

なんというか、ほとばしり出るような威勢の良さ(ebullient*)、あふれんばかりの元気さ(exuberant**)。動き回って大声で叫んでる感じ。僕たちはあっけにとられたけれど、まあフレディ自身は良かれと思ってやっていることだし、良しとした。

(* ** 訳注: と言ってると思います。違ったらごめんなさい)

何度かリハーサルし、試験的に小さなギグをしていくうちにこのフレディという男はきちんと歌えるし、良いアイデアをたくさん持っているということ事に気が付いたんだ。

僕たちにはベースプレーヤーがいなくて困っていた。いろんな人を試したけれど、僕らに合うスピリットを持ち合わせた人がいなかった。6人ぐらい試した後、ジョン・ディーコンを見つけたんだ。僕たち4人はぴったり合った。こうしてその瞬間クイーンは誕生し、僕たちの人生が変わった。クイーンが僕たちをどこへいざなってゆくのか、誰一人としてその時には気が付いていなかった。信じられないことだよね。僕らは不可能な夢を持ったただの若者だったんだ。

No One But You/Queen メイキング日本語訳

 

ロジャー・テイラー: ブライアンがテープをくれたんだけど、聴くのをすっかり忘れてしまっていて

ブライアン・メイ: 忙しかったようでロジャーは渡したテープを引き出しかどこかにしまってしまい、何か月もたってから僕に興奮しながら電話してきたんだ。「今、曲を聴いたんだけど、素晴らしいじゃないか、クイーンの曲としてやろう!」とね。

ロジャー: それで再集結したら以前と変わらないケミストリーを感じたね。もう一度ブライアンとジョンと演奏できてとてもとても楽しかったよ。

ブライアン: ダイアナ妃が亡くなったばかりの頃で、ロジャーにはフレディ、ダイアナ妃、ジャンニ・ヴェルサーチの事にも思えたそうだ。彼はこの曲を発表することには重要な意味があると確信があり、クイーンの曲としてやらなければいけない、と言ったんだ。

ブライアン: とてもシンプルなセットを準備した。意図的にセットに見えないようにしたんだ。僕らがスタジオかリハーサルの部屋で曲を練習しているようなテーマにしたんだ。観客のためでなく、リラックスしてお互いのためだけに演奏している僕たちだ。

中略

ブライアン: クイーンのビデオ撮影ならフレディはピアノに向かい、紙コップやいろんな物が ピアノの上に置かれていて、フレディは飲んだりしていただろう。コンサートだとシャンペンが入ったグラスが置かれていて、「Cheers, darlings(ダーリンたち、乾杯)」とか言ったものだよね。

カメラの視点は常にセットの中を動き続け、歩きながら見てまわっているように撮影した。

僕の周りに来たり、ロジャーやジョンの周りに行ったりね。

普通ビデオを撮影するときは固定のカメラがいくつかの位置にあるだけだけど、

このビデオの視点はまるで、ブラブラと歩き回ってる誰かの目線で、

まるで、まるで訪ずれてきた誰かのようにね。

(3:36~のあたりです。ブライアンがSo, maybe you are … May be you are a visitor. と言う部分、So may be you are…で声が詰まるブライアン。 Freddie と心の中で言っているように感じました。)

ロジャー: 僕らは常にいつもフレディが近くにいるように感じるんだ。長いこと一緒にいたから、どんな時にどんなことをするか、何を言われるかも想像がつく。「やめろよ、バカげてる」とかね。だから撮影中はそんな事を感じていたね。


ミュージックビデオは上からカメラが下りてきてブライアン、ジョン、ロジャーの周りをゆっくりと動く。フレディが3人の周りを歩いているように撮影されていたのですね。

そしてブライアンの弾くピアノの上にあるシャンパンはフレディがグラスを持ち上げて

“Cheers, darlings. ”

と言ってくれるかな、という思いが込められていたとは。

😢

 これがクイーン3人にとっての本当の追悼の曲となったのではないかな、と思いました。

白黒で天使の視点から見せるような映像はヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』や『時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!』を彷彿とさせます。

 

 

 

 

 

 

ブライアンのインスタの投稿

今日、2時間くらい前のブライアンのインスタの投稿を日本語に訳しました。

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Packing up after a very productive photo session with brilliant photographer Rankin. Thanks @rankinarchive !!! And … yes, I have backed off a little. I don’t feel the urge to be very interactive right now. Thanks for the good wishes, good IG pals. Thanks for caring. Yes, that sudden shitstorm last week on my own IG comments page did shock and sadden me. And it has changed the way I feel about a lot of things. It’s made me ask myself all over again why we all want to do this. Why we want to ‘perform’ on Instagram – what we are looking for. And it taught me a lesson which should have been obvious for a long time ago, and perhaps is good for us all to remember. It’s a terrible mistake to imagine that all your ‘followers’ are your friends. Thanks again to all of you who believed and supported me in my hour of being pilloried. I’m not going to do anything dramatic. I’m still here. But I will never quite feel the same about Instagram again. That feeling of trust has gone. It’s made me look again at those stories of kids being bullied to the point of suicide by social media posts from their ‘friends’, who have turned on them. I now know first hand what it’s like to feel you’re in a safe place, being relaxed and open and unguarded, and then, on a word, to be suddenly be ripped into. It’s OK – I’m not looking for sympathy. I’m a grown-up – I can deal with it. I’ll just behave a little differently from now on. Take care out there, folks – and I mean that ! Cheers! Bri

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素晴らしい写真家ランキン氏との有意義なフォトセッションを終え、

片づけをしているところです。

 

そしてはい。お察しの通り、僕はインスタから少し距離をおこうと思いました。

今は積極的にみなさんとインタラクトしたいという気持ちが持てません。

温かい言葉をかけてくれた優しいインスタ仲間のみなさん、ありがとう。気をかけてくれてありがとう。

はい。先週、僕のインスタのページで起きた突然の異常な状況、コメントの嵐にはショックを受けましたし、驚かされました。

そしてこの出来事は僕の様々な物事への感じ方も変えてしまいました。

自分はなぜ、こんなことをしたいのか、

何のためにインスタで  ”発信するのか、

根底から考えさせられました。

私たちは何を求めているのでしょう。

そしてこの出来事は、もうずっと以前から知っているべきであった事を僕に教えました。

私たち皆にとっても覚えておくのが良い事かもしれません。

私たちのフォロワーがみな私たちの友達だと想像するのはひどい間違いだ、という事です。

僕がやり玉にあげられている間、僕を信じ、サポートしてくれたみなさんにもう一度ありがとう。

何か劇的な決断をするつもりはありません。

今もこうしてココにいます。

しかし、以前のような気持ちをインスタグラムに感じることはもうできないでしょう。

信頼は消えてしまいました。

僕はソーシャルメディアで フレンドたちからいじめられ自殺に追い込まれた子供たちの話を見直しました。

僕は身をもって、自分が安全な場所で無防備にリラックスしている状態から

突然の猛攻撃を受ける、という事がどんなことか理解しました。

大丈夫です。同情を求めているわけではありません。

僕は大人ですから対処できます。

ただ、これからはやり方を少し変えていこうと思います。

みなさんも気を付けて。

本当に!

ではまた!

Bri

 

 

このブライアンの投稿の後

去年ネット上でのいじめで自殺未遂をした14歳の女の子が

“子供だけでなく大人だって弱く、ターゲットになることがあるとわかった”

また、”自分と同じような思いをしている子を救うことを目標として生活している”

という内容のコメントしました。

それに対しブライアンが

”もうしばらくはどんなコメントにも返信しないようにしよう、と思っていたけれど、君のコメントですでに気持ちが変わりました。君はとても若いのに、非常につらい思いを乗り越えてきたのですね。君のコメントで僕も謙虚な気持ちなりました。ただ、関心や見る目的が違う世界中の人々が見ることがソーシャルメディアでは人は攻撃を受けやすいという事を忘れないでね。”

という内容の返信していました。

—–

ブライアン・シンガー監督にかけられている疑惑は別問題として、無罪の推定という当たり前の事をブライアンが言っただけで猛攻撃を受け、謝罪をするにあたった経緯を見ていてブライアンのファンとしてかなり驚きました。

ちなみに日本ではブライアンのコメントは冷静で事実を述べている、という内容の感想が多かったようで安心しました。

問題とされたインスタでのコメント:

正しい事も大多数の意見が間違えと見なされる。まるでポピュリズムに支配されつつある世界の縮図のようにすら感じてしまいました。

ブライアンの謝罪は実に真摯であり、自分のコメントで傷つけてしまった人々へ心からのものでした。

直後、”謝ってくれて良かった”、”誰でも間違えは犯すから大丈夫” という内容のコメントがとても多く見受けられ、どれだけ正論が通じないインスタ世界なのだろう、と感じました。

謝罪を求めた人々、シンガー監督をブライアンが擁護していると捉えて “ブライアンにはとても失望した”、という内容のコメントを寄せていた人々の多くは、最近ファンになったと思われる海外の子達のようでした。

今の若い世代のクイーンブームを巻き起こし、楽しい記事や情報を次々と発掘、発信している若い子達。私もクイーンの情報などの恩恵を受け、楽しませてもらってきましたが、若いゆえの知識不足や短絡的な考えにより、こういった事も起こりえるのですね。

この出来事はブライアンの心の中にあったファンとの連帯感みたいなものを壊してしまったかも、と感じていました。

まとまりがなく、夜遅くで打ち間違えも多い文章なってしまいましたが、この件に関しては思うところがあり、投稿として残しました。

 

 

”完璧はギリギリで避けよう” ブライアン・メイ インタビュー訳

心に残った部分を少し訳しました。

(音楽以外の分野でもご活躍されお忙しいと思いますが、コンサートに向けての準備や練習はどのようにしてますか?)

16:23

ブライアン・メイ: コンサートでの曲目のリストを覚えるのはだいたい問題ない。

でも若い頃、試験に向けてきちんと覚えた部分はあっても、試験前日の夜にも詰め込み勉強をしたように、復習をする部分があるよ。

打ち明けてしまうとね、

数えきれないほど演奏してきた ”Somebody to Love” のソロの部分だって間違えたキーから始めてしまったら終わりだよね。だからステージに出る前にギターを抱えておさらいすんだ。(17:14 おさらいする真似をするブライアン✨)

中略

ギターを弾く上で、失敗は受け入れなくてはいけないと思う。

中略

そしてツアーでライブの前の練習がとても上手くいってる時も僕たちは ”完璧はギリギリで避けよう”、と言うんだ。

完璧を目指し、完璧に執着するのは一種の病気のようであり、また完璧にできているとしたら、何かがおかしいと思う。退屈だし、自分自身がチャレンジしてないということになると思う。

ミスをしないとしたら、僕が目指すプレイヤーに僕自身はなれていないと思うんだ。

レコードと同じ演奏をするのは大嫌いだ。リスクをもろともしない演奏をしたいね。